関東大震災のあと、東京のあちこちで起きた朝鮮人虐殺事件。朝鮮人が混乱に乗じて井戸に毒薬を投げ込んだ等の流言飛語が、千葉の片田舎までとどき、讃岐から来た日本人の一団を朝鮮人と思い込んで村人たちが殺したという実話を題材にした映画。福田村事件 (映画) - Wikipedia 監督の森達也はドキュメンタリー映画専門の監督だそうですが、この映画は彼の初の劇場映画だとのことです。
昨年、震災100年目にできた映画です。映画の性格からマイナーで、あまり話題にならないかもしれないと思ったのですが、あにはからんや大きな劇場でも上映され、話題になりました。それでもわたしは、題材は衝撃的でも、日本映画にありがちな、焦点のぼやけた映画なのではないかと、あまり期待していませんでした。
ところが、違っていた! よくできていました。
しょっぱなから描かれていたのは、村の中の複雑な差別構造。在郷軍人の水道橋博士は、主人公の井村新や村長(ロンバケで杉崎さんを演じた人)に対するコンプレックスを、当時軍人に与えられた公式非公式(!)の権力で消そうと躍起。在郷軍人たちは、軍服を着る必要がないのに着ていた、ということをこの映画ではじめて知りました。軍服が彼らのステータスシンボルだったらしい。後家であっても当然ながら婚家先に縛られる。船頭の東出昌大は、村の最下層に位置するらしいのだけれど、軍隊経験があることで少し上位に見られ、「徴兵逃れ」で大学へ行ったと揶揄されるインテリ村長は、その分、引け目を感じながら村政をつかさどる。
こういう村に遠方からやってきたのは、部落民たち。穢多と呼ばれ、明治以降は新平民として形は一般と同じ身分になったのですが、差別は変わらず。水平社宣言が出たばかりのころらしい。彼らは薬の行商をしながら四国各地から関東までやってきたのですが、部落民が行商などをして各地を渡り歩くこともあったということを、わたしは、知りませんでした。
彼らは故郷の村で差別にあい続けていたと思われるのですが、その彼らも、朝鮮人に対しては差別者として接します。より下の身分があることで、彼らはかろうじて矜持を保てる。そういう構造が、きちんと描かれていました。
いい映画でしたが、難点がふたつあります。ひとつは、日本語が聞き取りにくいこと。字幕はほしい。
もう一つは、端折り過ぎではないかと思われるところがいくつもあったこと。ある程度当時の状況を知っていないと、わかりにくかったのではないかと思えます。
それにしても有名な俳優がたくさん出ていました。友情出演かな。状況劇場の大久保鷹まで、ほんの短い場面でしたが出演していたのには驚きました。ちょっとうれしかった。
ところで、この映画を見た着物好き仲間の友人から、「映画もよかったけれど、登場人物たちが着ている着物が素晴らしかった。ぜひあれを見てほしい」と言われていました。それで、いつもより気にして村人や部落民の人たちの貧し気な衣装を観察しました。たしかに、藍染めの縞柄布がつぎはぎだらけになっている、いわゆる「BORO」に近い衣装が美しかった。船頭と恋仲になっている後家さんの着ているものが、一番印象に残っています。朝鮮飴を売る少女の服も、素材や染料、形が気になりました。