90年代の北欧・フィンランドの映画で、監督は、アキ・カウリスマキ。前に録画したものを見たのですが、前知識なしで見始めたため、しばらく、ソ連崩壊直前のころの東欧の映画かと思いました。雰囲気が暗くて、描かれた人々はみな疲れ果てています。
マッチ工場で働く貧しい少女が主人公。家族は母親と母が連れ込んだらしいデブの男。ふたりは、少女の給料をあてにし、テレビを見るだけが娯楽らしい無為の生活を送っています。家族の会話はほぼゼロ。少女の唯一の慰めは、通勤時の読書と、たまに一人で入るカフェで過ごす時間だけ。
その少女が、なけなしの給料で買ったドレスを着て出かけたバーで、中年男に誘われて一夜をともにします。満たされた夜を過ごした彼女に、男は冷たく、彼女は失意の日々を過ごすことに。
全編、単純な会話だけ。テレビのニュースフィルムがしばしば流れ、天安門事件の流血の様子が映されます。少女が男に捨てられたとわかっころからだったか、マッチ工場の機械の単調な音がずっとBGMのように聞こえてきて、最後まで続きます。この機械の音がこの映画を象徴しているようでした。
彼女たちは、貧しいからつらいだけではなく、機械のような仕事を終日させられているから、疎外を如実に感じて、つらいのだな、ということが伝わる映画でした。はっきり言って何度もやめようと思いましたが、なんとなくつい最後まで見てしまいました。退屈と紙一重ですが、リアリティがあったからだと思います。
マッチ工場で働く貧しい少女が主人公。家族は母親と母が連れ込んだらしいデブの男。ふたりは、少女の給料をあてにし、テレビを見るだけが娯楽らしい無為の生活を送っています。家族の会話はほぼゼロ。少女の唯一の慰めは、通勤時の読書と、たまに一人で入るカフェで過ごす時間だけ。
その少女が、なけなしの給料で買ったドレスを着て出かけたバーで、中年男に誘われて一夜をともにします。満たされた夜を過ごした彼女に、男は冷たく、彼女は失意の日々を過ごすことに。
全編、単純な会話だけ。テレビのニュースフィルムがしばしば流れ、天安門事件の流血の様子が映されます。少女が男に捨てられたとわかっころからだったか、マッチ工場の機械の単調な音がずっとBGMのように聞こえてきて、最後まで続きます。この機械の音がこの映画を象徴しているようでした。
彼女たちは、貧しいからつらいだけではなく、機械のような仕事を終日させられているから、疎外を如実に感じて、つらいのだな、ということが伝わる映画でした。はっきり言って何度もやめようと思いましたが、なんとなくつい最後まで見てしまいました。退屈と紙一重ですが、リアリティがあったからだと思います。