アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

本「本当は戦争の歌だった 童謡の謎」

2024-08-30 23:33:55 | 映画とドラマと本と絵画

  シンガーソングライターとしてデビューし、音楽業界で多彩な仕事で「異才を発揮している」という合田道人の「童謡の謎」(表紙カバー)シリーズの一冊。

  「童謡や愛唱歌とされる歌たちの背景に戦争が見え隠れしているものが実は多い。戦争の中で作られたり、戦後の苦しみの中から生まれたりした童謡が今も息づいている。兵隊や戦争といった直接的な言葉や詩がなくても、その裏側に戦争が潜んでいた歌を知るたびに、正面から向き合う必要性を感じた」(まえがき)

  たとえば、「うみ」。「海は広いな 大きいな」で始まるあの歌は、昭和16年に教科書に掲載されたという。真珠湾攻撃の年です。この年から、小学校は国民学校という名に変わり、国民学校の一番の目標は、「皇国民の錬成」。その国民学校の一年生が習う歌として登場したのが「うみ」でした。

  この歌のどこに戦争が隠されているかというと、3番。「海にお船を浮かばして(当時は「し」だった) 行ってみたいな よその国」

  「ここにしっかりと男の子たちの夢が描かれているのだ。・・・早く大きくなって男の子たちは、兵隊さんになりたかった。日本のために戦争に出向きたかった。・・・・海を渡って敵国、よその国に乗り込んで勝利を収めたい・・、そんな心がこの歌を大きく支援していったのである。」

  指摘されて初めて、この歌の1番、2番と3番の間に飛躍があることに気付きました。1番、2番の主語は「海」、でも3番は「ぼく」。突然変わっているのです。

  明治43年に発表された「我は海の子」も同様。ただしこちらは、実は堂々と戦争を前面に出した歌だったのです。今は3番までしか歌われていませんが、終戦までは7番まで歌詞がありました。

   「7 いで大船を 乗出して 我は拾わん 海の富 いで軍艦に 乗組みて 我は護らん 海の国」

  「「我は海の子」の本質の意味は、海で毎日泳いでいる元気な子供というものだけではない。海国日本、海軍日本の子こそ「我は海の子」なのである。」

  「汽車ポッポ」も出征する兵隊を見送る歌として作られたのだそう。ほかにも、戦中戦後に歌われた有名な童謡の「謎」がいくつも解きほぐされています。

  子供たちの心に、じわじわと忍び寄るようにして、戦争を身近なものとさせるための道具に使われた童謡(学校で歌われたものなので、唱歌といったほうがいいかもしれません)の数々。戦後生まれの私たちも全く知らずに歌っていました。

  今は、昔の唱歌が音楽の教科書から消えたと聞いて久しい。なんだか寂しいなと思っていましたが、戦争にまつわる歌は少なくとも教科書からは消えたほうがいい。また「じわじわ」来られるのはいやです。ただし、新しく教科書に載った歌が、またまた「国策」に則った歌でないと言い切れるのかどうか、知りません。

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映画「スキン」

2024-08-29 15:36:08 | 映画とドラマと本と絵画

  全身入れ墨を施した青年の実話。SKIN/スキン - Wikipedia

  彼は幼いころ親から虐待を受けて捨てられ、白人至上主義の男に拾われる。男は、「バイキング」と名乗る集団のリーダー。彼ら夫婦のもとで、筋金入りの白人至上主義者として育てられ、黒人、移民、異教徒に対する憎悪に燃える青年になる。全身の入れ墨は、彼の憎しみを象徴しているかのよう。暴力的な集会にも積極的に参加し、テロ行為も辞さない。

  しかし、三人の娘を持つシングルマザーと恋仲になり、しだいに人間的な感情が芽生え始めます。その彼を更生に導くのが、偏見で凝り固まった人たちに公平な目を持たせるべく地道な努力を重ねているプロジェクトの黒人男性。当然ながらもとの団体から危険な目に何度もあわされます。

  何とか逃れた後、彼は全身の入れ墨を除去。そしてやっと生まれ変わります。

  白人至上主義者たちはどんな主張をしているのか、「バイキング」とは何のつもりなのか、彼らはどこから金を得て生活できているのか、といった疑問が残り、描き足りないなと思われるところもあるのですが、アメリカのプアホワイトの現状を多少なりとも知ることができました。

  狂気に思えるこの集団のリーダーが、うろついている少年に声をかけ、自宅に連れていきます。少年はそこで、彼らの主張を吹き込まれ、髪を丸坊主にされ、忠誠を誓わせられます。集団に疑問を持ち始めた主人公が、この少年に「なんでついてきたんだ」と聞いたときの答えに驚きました。少年の答えはこうです。

 「腹が減っていたから」

  アメリカは大変なことになっているなと再認識。そして、これは、子どもの7人に一人が貧困だという日本も、他人ごとではありません。

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映画「ザ・フォール 落下の王国」

2024-08-29 14:13:58 | 映画とドラマと本と絵画

 イギリス・アメリカの合作の冒険ファンタジー「落下の王国」。落下の王国 - Wikipedia

 家族とともにオレンジ農園で働いていた少女が、木から落ちて入院。病院内で知り合ったスタントマンの語る嘘話をたのしみに、彼の病室に通う。彼は半身不随の上に失恋。人生に絶望し自殺を図り、少女を使ってモルヒネを手に入れようと考え、彼女をてなづけるために冒険物語を語り始める。

 舞台は1915年。映画冒頭の何シーンかのシュールな映像にすぐに惹きつけられました。冒険物語に登場する男たちは、みな何らかの悲しみを抱いていて、決してかなうことのない敵に立ち向かう。砂漠の落日、トルコかどこかにありそうな不可思議な堅固な城、どれも青年の語るファンタジーなのですが、幼い少女はいつしか男たちとともに物語の中で戦いをはじめます。物語を語る青年も、聞く少女も、しだいに物語によって癒され、成長していきます。

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本「日本残酷物語2忘れられた土地」

2024-08-27 10:26:10 | 映画とドラマと本と絵画

 第1巻「貧しき人々の群れ」「日本残酷物語1~貧しき人々のむれ」 - アンティマキのいいかげん田舎暮らし (goo.ne.jp)につづく2巻めは、離島、へき地、北海道など、開発の遅れた土地や開拓の始まった頃の土地に住む人々の、想像を絶する苦労の記録になっています。

「離島、マタギ・木地屋などの住みなす山間の地、「新天地」北海道など、かつて粗かった交通・通信の網の目をこぼれ落ちた地域が、列島中に散在していた。そこには、過酷な自然を相手に黙々と闘う人々の暮らしがあった」

島だからといって漁業が盛んなわけではない。港湾の整備がなされていない島では、船の離発着ができないから島の発展は望めない。故郷で食い詰めて島に移住したある男性は、整備に力を尽くし、小学校の設立にも寄与した。でも、島ではよそ者に土地は譲ってもらえず、朝鮮で田畑を買うことができてやっと食うための道が見つけられたと思ったら、結局敗戦で無一物に。島に戻りあばら家で妻と二人で暮らしている。

「みんなよう働き、苦労をして、しかも妻子にも手を取られずに死んだ者が多うござりました。わしゃァ、そいつらの冷とうなってゆく手を何百というほどにぎりました。こんどはわしが手を握られる番でありますが、わしにしてもじぶんらのことを聞いてくれるお人があるとは夢にも思いませなんだ。けれど、話しておるうちに、やっぱり聞いてもらいたかったんだなァということに気付いたのでござります。それでのうて、どうしてこんな書きつけやら証文やらしもうておきましたかのう」

「やっぱり聞いてもらいたかったんだなァ」のくだりに、胸を打たれました。

ある山村では、村の若者の楽しみは、みんなで山に薪取りに行って、そこで肌脱ぎになってお互いのからだに住み着いている虱を取り合うことだった、といいます。男女入り乱れて、虱取りという名目でのいちゃつきが、つかのまの慰安のひとときだったのです。「どぶろく飲んでみんなとしゃべる、楽しみといえばそれだけだったな」といった古老も登場。

山のへき地では、交通が途絶えて塩の供給がなくなると、囲炉裏端に敷いてあるござを刻んで干して、干し柿と混ぜて塩分補給していたという壮絶な話も。「若い嫁の座っていたござはとりわけうまい」(!)という冗談のような話も載っています。

1巻目同様、つい70~80年前ころ前までの日本の、片隅に追いやられた人々の暮らしがいかに過酷なものだったか、ひしひしと伝わる記録集です。さて、3巻目は「鎖国の悲劇」。続いて読もうかどうしようか、思案中です。

 

 

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石窯ピザとインド藍染めの会inどんぐり工房 開きました。

2024-08-20 23:40:11 | 草木染め

  5月に続いて、どんぐり工房で石窯ピザと染めの会を開きました。

   今回は、インド藍の染め。参加者それぞれ、古いシャツやカーテン、エプロン、スカーフなどをお持ちになって、染め液に投入。緑色になった布が、外気に触れた途端、青色に変わるのを楽しみました。

  工房の庭にある、ピザ窯。夏のピザは、ナスとズッキーニをあらかじめオーブンで焼き、チリメンジャコとともにトッピング。トマトソースや染めソースをあえて作らず、トマトの角切りも載せたうえに、青じそジェノベーゼをかけて、チーズ二種を。

  初めてのシソジェノベーゼを載せたピザでしたが、好評! バジルほど主張しない味なのですが、それなりによかった。ニンニクとクルミを入れました。

  いつもは、インド藍染めの時は模様をつける方がほとんどなので、その模様の面白さに惹かれるのですが、昨日の会では、一人を除いてみな単色を選びました。

  洗い終わった布を見ると、素材や染めの回数、織り方によって、青の色が微妙に異なり、まるで紺屋のようでなかなか壮観でした。

  模様をつけたお一人は、以前、一緒に蚕のうんこ染めをした友人。うんこ染めをした布に、模様を施しました。

  こちらも彼女の作品。青と白の対比が大胆。

  インド藍の染めの会は、今週末、24日にも開きます。こちらは染めだけのいつもの定例講習会。まだ若干空きがありますので、どうぞ。シミのついたお気に入りの服やスカーフを再び生かすのに、藍染めは最適の方法です。お申し込みは、どんぐり工房へ。℡0565833838

 

 

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アトリエチェルシーで、巣衣さんとコラボ展を開きます。

2024-08-15 10:37:17 | 草木染め
 9月3日4日5日の3日間、足助の山あいにあるアトリエチェルシーで、アクセサリーと服の巣衣さんとコラボ展を開きます。
題して、<「草木絲衣」染めと装い二人展>。
 
 アンティマキは、主に周辺の野山で採取した植物で染めた草木染めのスカーフ各種、のれん、布地や端切れなどを展示。焼き菓子類の販売も致します。
9月3日は、わたしの1デイシェフの日といたします。たぶん、ですが、ベジバーガーとベジスープのランチをおつくりいたします。助っ人は昨年と同じく、真理子さん。
 
  午前11時からと午後1時から。それぞれ10人までといたしますので、できれば予約をお願いいたします。ご予約・お問い合わせは、問い合わせメールにてメイルください。
 
  巣衣みほこさんの衣服は、一枚一枚に作り手の深い愛着を感じます。アクセサリーも魅力的。以下、彼女のメッセージです。
 
「@sugoromo_mihoko
暮らしに少しスパイスを。
そんな衣・装身具などをつくっています。古い布、綿、麻、染、自然の恵、異国の風を感じるものなど、土に還るモノづくりを心がけてます。
今回は、貫頭衣、藍染装身具などご用意してます。
アンティマキさんとの初2人展となりますので、少しですが、マキさんの染められた布を使ったものも製作中です。
マキさんの草木染めのストールなども並びますのでお楽しみに♡
山のatelierで皆様のお越しをお待ちしております。」
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「日本残酷物語1~貧しき人々のむれ」

2024-08-14 11:22:24 | 映画とドラマと本と絵画

  本書は1959年から61年にかけて刊行された全7巻が初版。第2版は1972年刊行し、1979年の第8冊を底本として1995年に平凡社ライブラリーに収められました。最近、この本の存在を知り、図書館で借りました。監修は宮本常一、山本周五郎ほか。執筆者は宮本常一を含む22名。

  「これは流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人々の物語である。自然の奇蹟に見離され、体制の幸福にあずかることを知らぬ民衆の生活の記録であり、異常な速度と巨大な社会機構のかもしだす現代の狂熱のさ中では、生きながら化石として抹殺されるほかない小さき者の歴史である」(刊行のことば)

  日本は長い間貧しく、足利時代に訪れた朝鮮の外交使節は、乞食や廃疾者の多いのに驚いているそう。明治にはいって、ヨーロッパの王族が日本を訪れることになり、政府は慌てて東京市中にあふれかえっていた乞食をどうするか頭を悩ませ、その解決策のひとつとして渋沢栄一が養育院を建てたのだそうです。

  「海辺の窮民」の項には、驚くべき話が載っています。国内のあちこちの島や本州の海辺、大きい河川の岸辺の村では、船の難破によって得る食糧、材木、その他の積み荷を頼みにしていたというのです。人の不幸がわが身の幸せになる。それくらい、村が窮していたということです。

  いくつかの村では、まるでその年の米の豊作を占うのと同じように、難船が来るかどうかを占う行事がありました。ひどいところでは、助けを求める乗組員を村人たちが殺し、積み荷を村の収穫物として奪い取ったという記録も残っているそう。

  日本地図を見れば日本という国は山ばかりで中央はほぼ茶色。残りの平地に米を作り、畑を作り思い年貢を納めてかつかつ生きてきたのだなとわかります。こちらに引っ越してしったのですが、大概の家は山にへばりついたような場所にあり、陽当たりはよくない。土地の人がいうには「一番いい土地は田んぼに、二番目にいい土地は畑に、最後に残ったところが家になった」。

  中世から近世にかけての何百年かの間、日本の人口はほぼ横ばいだったといいます。生産は上がらず、食べ物がないので、子どもは育てられない。間引きや幼児殺しはあたりまえに、貧しい人々の間で行われていました。

  それでも、飢饉がくればさらに食べ物はなくなります。人肉嗜食も公然の秘密になっていました。女は女郎屋に売られ、子どもは子守に雇われる。それでもあぶれた人たちが乞食の群れになる。

  ある村で、村の若い衆が一人の女乞食を始終いじめているのを見かねて、おなじ村の正義感の強い青年がいじめをやめさせようと若い衆を説得。そのためいじめはなくなったのですが、そのかわり、女乞食への施しもパタッと途絶えたといいます。女乞食はその青年をなじり、いつのまにかその村から消えたとか。

 映画「福田村」でも描かれていることですが、下層の人たちは、さらにその下に貧しい人がいることが気持ちの救いになっている。貧しい村人にとっては乞食や非人がそのたぐいで、そして非人と呼ばれる人たちにはさらに下の身分としての朝鮮人がいることが気持ちの安定につながっている。この、女乞食をいじめるエピソードの中の若い衆たちも、いじめることによって自分たちが得ている満足感の代償として、彼女にものを与えていたということなのでしょうか。単純に善悪で測れない複雑な心の動きが、垣間見える話でした。

 耕作しやすい狭い平地の田畑では到底足りず、山間地では谷間や山陰の小さな土地を開墾し、代々少しずつ農地を広げてきました。こちらに来てよく見るようになった山陰にひっそりと一枚だけあるもと田んぼ。みな、昔の人たちが鍬や鋤を使って耕した場所なのでしょう。この本を読んで、当時の人たちの苦労がいっそう身に沁みました。

 2巻目は「忘れられた土地」。こちらも読み始めています。

 

  

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森のようちえん・もりのたまごで自然観察会に参加。

2024-08-08 00:04:45 | 小さな旅

  先日、豊田市の森のようちえん・もりのたまごの園地で開かれた、親子対象の自然観察会に参加させてもらいました。

  園地につくとすぐ、子どもが見せてくれた山繭。何者かに食われてはいますが、美しい黄緑色です。糸を引くとなが~い1本になるそうです。

  講師は北岡明彦氏。久しぶりにお会いしました。彼の案内で森を歩くのはとても楽しい。こちらはイヌザンショウ。葉っぱは山椒に似ていますが、匂いは違う。強い匂いではあるのですが、芳しくはない。何かに似ているのに、それより劣っている植物はとにかく「イヌ」がつくらしい。

  アベマキ、だったかしら。木肌が独特。上の方で、たくさんのカナブンが樹液を吸っているのが見られました。

  「今日はセミの抜け殻を探そう!」との北岡氏の声に、子供たちはつぎつぎに発見し、彼が持つ袋の中に投入。子供たち、目ざとい。

   顔をのぞかせただけなのに、この蛙も、子どもに捕まえられました。

   リョウブに巻き付いたサネカズラ。

  こちらはサカキ。神に供える枝として知られていますが、実はこのサカキを備えるのは伊勢神宮系統の神社だけなのだそうです。園地には、ヒサカキの方が圧倒的に多い。姫サカキが詰まって、ヒサカキ。この日サカキを備えることの方が、全国的に見ると多いのだとか。

   こちらは、ヤブムラサキ。ムラサキシキブやコムラサキシキブと同じように紫色の実ができるのだそうですが、葉っぱが違う。「愛知県で最もふわふわの葉っぱ」と北岡氏はおっしゃいます。なるほど、さほど厚い葉でもないのに、ビロードみたいにふわふわ。

   今回、観察会に入れてもらったのは、秋に開く草木染め講習会に使う材料探しのため。これまで使ったのは、杉の葉、杉皮、シラカシ、ヤシャブシ、葛葉、笹の葉。園地内で育つ植物でこれまで使ったことのない植物で、染められるものを見つけたくて、同行しました。

   採取するだけたくさんあって、しかも採りやすいもの、となると結構絞られてきます。今回は、このヤブムラサキとサカキを少しいただいて、とりあえず試し染めしてみることにしました。

   子供たちの取ったセミの抜け殻や昆虫の死骸。アブラゼミ76個! 右端は、外来種の蝶の羽。昨年までは見かけなかったのに今年は発見。外来生物がじわじわこの山中に生育し始めた証拠らしい。

  アブラゼミの雄と雌の見分け方をはじめて知りました。右が雌で、左が雄。雌の方はお尻のほうが縦線になっています。それが陰部?

  ようちえんのある園地は、スギやヒノキの人工林に囲まれていますが、伐採箇所が多いので、どんぐり類や松、ソヨゴ、ツバキ、そのほか種々の灌木類がたくさん育っています。だから、どんぐりや松ぼっくりもたくさん落ちているので、子供たちの遊ぶ材料には事欠きません。

  小さい子たちがしっかり目を見開いて、セミの抜け殻はないか、変わった虫はいないかと探す様子は真剣で、ほほえましい。いつもこの園地にくると思うのですが、「森でうんと遊んだ経験を持っているかどうかが、これからの彼らの人生を決める」と、今回も確信を持ちました。

 

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ハッピーマウンテンで牛のうんこ染めWSを開きました。

2024-08-07 14:25:47 | 草木染め

 8月最初の土曜日、お隣の長野県根羽村のハッピーマウンテンで、草木染めワークショップを開きました。

 ハッピーマウンテンは、山地酪農の牧場。9頭の牛が、山に生えている草を食べて、畜舎に入ることなく外でずっと過ごしています。牧場主は幸山明良さん。7年前から、ほぼ杉やヒノキだけだった山の整備をはじめ、今は絶滅危惧といわれる鳥までやってくる、生態系豊かな森を、牛とともに作っています。

 その幸山さんが前からやりたかったという牛のうんこ染めワークショップ。その講師として参加させてもらいました。

  当日は朝から猛暑。標高1000m近い山だというのに、日差しが強くてつらいほど。

  前日の真夜中に東京を発って、朝5時頃根羽についたというお母さんと男の子3兄弟。彼らは牛が大好きで近県の牧場にはしょっちゅう遊びに行くのだとか。でも、野外での作業は始めてだそうで、さっそく幸山さんから薪割りの手ほどきを。

  牛のうんこ採取へ。こちらをはじめて訪れたとき、牛のうんこが臭くないのに驚きました。彼らが食べているのは山の草だけ。一般の牛舎で飼われている牛は濃厚飼料といって、脂肪の多い牛乳出すため、穀物もふんだんに食べさせられます。そして大きな違いは、運動量! 健康な牛のうんこは臭くないのだと、そのとき知りました。

  うんこの煮だし開始。参加者の皆さんが拾ってきたうんこは、私が前に手でつまんだ乾いたうんことは違ってできたてほやほやの柔らかいうんこ。そのせいか、煮だし始めると、やはり臭い。でも、嗅いだことのある牛舎の臭さとは違い、十分耐えられる臭さです。

  一月前に試作するために持ち帰ったうんことは微妙に匂いも色も違う気がしました。たぶん、食べた草が多少違うのでしょう。根羽はトウモロコシの産地なので、近隣の農家で売り物にならない🌽がこの牧場にやってくることもあるそうなので、そのせいもあるのかもしれません。

  なにせ、普通の哺乳類と違って、牛の反芻能力はものすごい。固い笹もバシバシ食べるくらいなので、煮上がった染め液を濾すのには、ずいぶん時間がかかりました。

  隣の竈で煮たのは、クロモジのチップ。牧場内には、近年価値が急速に認められ始めたクロモジが結構生育しています。

  そのクロモジを細かく刻んだものを染料に。たいして臭くないとはいえ、やはりうんこらしい匂いのする鍋の隣で、ず~っと嗅いでいたくなる品のある香りのクロモジの鍋。こんな取り合わせのワークショップ、めったにないとおおもいます。

  試し染めしたときは、きれいな黄色だったのに、チップの量が多すぎたのか、この日のクロモジの染め液は、ピンクに近い肌色に。

  うんこ染めの方は、濃い草色に。こちらも、試し染めの時よりずっと黄色みの少ない色になりました。ちゃんと浴比をしらべたわけではないので、なんともいえませんが、食べたものの違いが色に出たのかしら。

  こちらがうんこ染めです。

  アルミ媒染は薄め。銅媒染ははっきり草色に。鉄媒染だと暗い草色に。

  クロモジ染めの方は、色合いがはっきり分かれました。右の二枚は同じスカーフですが、右端は銅媒染、手前はアルミ媒染。グレーは鉄媒染です。この色いい。

 上記二枚の写真に写っている数枚の小さめの布は、参加者のお一人が子供さんの夏休みの自由研究にとお持ちになったもの。それぞれ4枚ずつ用意し、豆乳、牛乳、酢、オレンジジュースに浸けた布をご持参。草色のほうが牛のうんこ、肌色のほうがクロモジ染めです。酢やオレンジジュースに浸けた布は染まらないだろうとおおもいましたが、うんこ染めの方は予想に反してうっすらですが色がつきました。実験成功!

  RちゃんとAちゃん姉妹。お姉さんはクロモジ、妹さんはうんこ染めです。

  この日の昼食は、根羽にある村の施設「くりや」内の木村食堂のベジ弁当を頂きました。こんな田舎で、安心できる素材を使ったお弁当が頂けるのがうれしい。

  食後は、牧場内でわんさと生えているベニバナボロギクを使ったクッキーを、みなさんに召し上がっていただきました。

人間が食べても野菜のようにおいしいベニバナボロギク。なのに、なぜか牛は嫌って食べません。そのおかげで、なかなかうまく育たないこの草が、ハッピーマウンテンにはいっぱい。しかも牛のうんこで育っているので立派。そのベニバナボロギクの葉と花をゆでて刻んで、オートミールのクッキーに加えました。

 写真を撮り忘れましたが、クロモジのチップの水出し茶は、とてもいい匂いがして好評でした。

  皆さんが帰り、片付けが終わったあと、根羽のさらに飯田寄りの村、平谷に新しくできたアイスクリーム店のアイスクリームを食べに、幸山さんたちと行きました。場所はひまわりの湯のすぐ前。昔はAコープだった建物です。開いているのは、幸山さんと同じく、山地酪農を平谷の山で実践している林さんご夫婦。牧場の名前はペアツリーファームです。

  草だけを食べて育った牛乳から作られたアイスクリーム。喉のどこにも引っかかることなく、すすっと溶けます。なのに、豊かなコクを感じます。上にかけてあるのは、エスプレッソコーヒー。よく合います。

  牛とともに、この山で1年間寝泊まりしたこともある幸山さん。彼を見つけると牛は我も我もと寄ってきて、彼になでたりさすったり掻いたりしてもらいたがります。彼がいることで、安心して山の生活を続けているように見える牛たち。針葉樹だらけの不自然な森だったこの山が、牛と、整備を続ける幸山さんの手によって、本来の豊かな生態系に生まれ変わりつつあります。糞虫は、肥沃な土壌を作るに欠かせない存在なのだそうですが、いまや世界的に激減しているのだとか。その糞虫がこの山にはあちこちに。この日は、糞虫マニア(!)だという少年が、希少の糞虫を発見したそうです。すばらしい!

  牧場では鶏も放し飼いしています。子供たちは、このひよこに夢中。生き物の温かさ、ひ弱さ、可愛らしさをたくさん学んだようです。

 牛のうんこ染め、初の試みでしたが、参加した方たちはみな面白がってくださり、充実した一日を過ごしてくださいました。また別の季節に、今回とは異なる草を食べた牛のうんこを、いつか染め材料に使ってみたい。

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