アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

明日、設楽清崎のクリスマスマーケットに出店します。

2024-11-30 23:03:00 | アンティマキの焼き菓子とパン

  明日、毎年恒例のクリスマスマーケットに出店します。

  このマーケットは、道の駅したらのすぐちかく、旧街道沿いが歩行者天国になってにぎやかな一日となります。主催は、旧道にてイタリアンモザイクのお店カモミッラ。

  お持ちするのは、まず、この冬初めてのシュトレン。主な材料は、信州産のリンゴと圧搾菜種油で作ったアップルバターと有機栽培の、強力粉、薄力粉、ライ麦粉、強力全粒粉。ラム酒や赤ワインに漬けたレーズンやイチジクも、クルミ、ヒマワリの種も有機栽培の材料を使っています。甘さは国産黒糖と粗糖を控えめに。おなかにもたれないと、毎年好評をいただいています。

  スコーンは、有機バナナとおから入り。スペルト小麦の生地で焼きました。国産有機粗糖をほんの少し加えただけなので、小腹がすいたときにぴったりのお菓子になりました。

  黒ビールケーキもお持ちしますが、実は、ぼんやりしていて計量を間違えて焼いてしまいました。いつもより、黒ビールとラム酒漬けの果物、クルミ、甘夏ジャムが少なめなのです。でも、おいしい。軽いのです。いつもの黒ビール、ラム酒たっぷりの大人のケーキとは違いますが、食べやすい。値段を安くして、売ります。

  穀物クッキー4種はいつも通り。人気のザクザククッキーもお持ちします。米粉の焼き菓子は、味噌味のビスコッティのほか、有機ほうじ茶のクッキーも焼きました。いろいろあるので、ゆっくりお選びください。

  路上ライブは一日。多分、お笑いもあり。地元の方たちも、遠方から訪ねてくる方も、皆わき和気あいあいのマーケット。どうぞいらしてください。車は道の駅したらの駐車場にお停め下さい。

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もりの幼稚園もりのたまごのおまつりに行ってきました。

2024-11-29 00:05:33 | アンティマキ風自然的生活

  先週、もりのたまごの園地でひらかれた、たまごまつりにお誘いいただきました。

  たまごまつりは、一般の保育園・幼稚園でいうところの学芸会とか生活発表会みたいなものなのですが、もりの幼稚園らしさがいっぱい盛り込まれた、たのしい会でした。

  園児たちの登場は、山の上から。落ち葉吹雪(!)を散らせながら、スタッフと園児が登場。観客は、父兄のほかOB親子、近隣のもりの幼稚園のメンバーたちなど総勢約60名。

  年長のもり組の子たちのお店。当てものがあって、景品がもらえます。私がもらった景品は、立派に太ったアベマキの実。子供たちには別の景品が用意されています。

  これが景品。本物の綿で作った綿あめ風のおもちゃもあります。

  三角の旗?は、園で草木染めした布。

  近在に住んでいる、ガラ紡・おぎゅうの里の野々山さん。常々、園児と一緒に綿つみしたり草つみしたりと、深くかかわっています。

   焚火のそばでは、お母さんたちが仕込んだ味噌汁が煮えています。

  歌がいっぱいのたまご。こちらは、たまご祭りの歌です。「村祭り」の替え歌。

  昼食後はカフェタイム。お母さんたちが手作りしたケーキやおはぎ、みたらし団子などがいっぱい並びます。それぞれ値段がついていて(安い!)缶にお金を入れます。小さな子供たち、小銭を握って行列。こういうの、今時めったにできないことなので、いい経験になります。

  とにかく子供がいっぱい。皆元気です。

  お昼ご飯を食べているとき、3歳くらいの男の子が、おにぎりを口いっぱいにほおばりながら、ご両親らしい人たちが座っているテーブルの周りを、満面に笑みを浮かべて走っていました。ぐるぐると、たぶん3周。ご飯がおいしくて、食べていることがうれしくてしかたない、という表情で、見ているこちらもつい微笑んでしまいました。

  しばらくしてふと見ると、テーブルに座ってまた食べていました。むしゃむしゃと。やっぱりしあわせそうに。あとでお母さんと話す機会を持てたので、このことをお伝えすると、「そうなんです。この子は食べることがとにかく好きなんですよ。いつも食べているときはほんとにたのしそうなのです」と。でも彼、食べてないときの顔も、とても幸せそうでした。欲望を抑えるよう強いられることが、過去に一度もなかったのでしょう。

   私も、彼同様、食べることが好きでしたが(子供は普通そうです)、食いしん坊であることに罪悪感を抱いていました。親から「はしたない」と、陰に陽に言われていた(気がした)からでしょう。だから、「食べたい!」とか「欲しい!」とか率直に言えなかった。言える子たちを見ると、心から「そのまま大きくなってね」と言いたくなります。

  おまつりに何をするか、どんなことをして来た方たちに楽しんでもらうか、皆子供たちがスタッフと一緒に考えました。話し合うこと、作ること、失敗して反省すること、みんなどれも大事な経験です。彼らは、とことんその経験を味わうことができる。もりのたまごの園地を訪れるたびに、どの子もみんな、もりの幼稚園とかプレイパークで、いっときは過ごしてほしいと、切に思います。

  はじめての、お祭り参加。ほのぼのした気分で帰途につきました。

   

 

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あした、常楽寺オーガニックご縁市に出店します。

2024-11-16 22:58:32 | アンティマキの焼き菓子とパン

  あした、豊田市下山地区の山寺、常楽寺にて、常楽寺オーガニックご縁市に出店します。

  昨年夏以来の開催。今年9月に開催予定だったのが、台風のために延期になって明日、無事に開かれることになりました。

  回を追うごとに、出店者数も増え、内容も充実。今回も本堂や境内で、様々な催し物が用意されています。【イベント案内】11/17(日)常楽寺オーガニックご縁市開催! - おいでん・さんそんセンター

  詳しい内容は、こちらのインスタで。常楽寺オーガニックご縁市(@goen.ichi) • Instagram写真と動画

  明日お持ちするのは、スペルト小麦とライムギのパンに、久々焼いたローズマリー入りフォカッチャ。こねないパンです。黒ビールケーキも焼きました。

   クッキーは、穀物クッキー4種のほか、ザクザククッキー、みそ味の米粉ビスコッティなどいつものクッキーのほか、岡崎額田の宮崎園の有機栽培ほうじ茶を入れた米粉のクッキーも。こちらは先日新発売したところ。米粉とお茶の相性はやっぱりいい。お試しください。セイタカアワダチソウ入りの塩気が効いたクッキーも少しだけ持っていきます。

   明日は、草木染めの製品も並べます。場所は、入ってすぐ右手の大広間。フランスサヴォワ地方の料理屋や焼き菓子のお店nitta さんも初出店。9月に、アトリエチェルシーでご一緒に展示会を開いた、巣衣みほこさんも独特の手作りの衣装やアクセサリーをもって出店なさいます。

   ではお待ちしています。

  

 

 

 

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本「日本残酷物語4~保障なき社会」

2024-11-05 23:13:38 | 映画とドラマと本と絵画

  「日本残酷物語」第4巻は、明治維新前後の世の中の激変に翻弄される庶民の記録です。

  表紙に書かれた文言は、「「血税」という語に、生血を搾り取られる恐怖を聞いた人々、経済・社会の急激な「御一新」の中で、脆くもさびれ崩れる町、村、家、かつて働いていた保障のしくみを失い、巨大な群が流離の境涯に落ちる」。250年続いた幕藩体制が壊れた後の動揺は、一朝一夕には終わらなかったことがこの本を読んでよくわかりました。

  「村八分の実態 藩政時代の下の農村は、一つ一つの村がみずからの手で自分たちの村を守らなければ、そのなかに住む一戸一戸の生活をすらあやうくする場合が多かったから、人々は自分たちの家を守ると同時に、また自分たちの村を守った。だが明治になって、納税の責任も連帯制を解かれ、人々もまた職業選択の自由がみとめられることになると、村のなかの古い秩序もこわれてきはじめる。村の共有林や共有山野が個人に分割されて、村全体の支えはしだいに影をひそめ、血縁中心の家がその支柱と変ってくる。しかし同族結合の要である本家も、連帯保証の重荷に耐えかねて没落するものが多くなると、村の秩序は混乱をかさね、家と家の対立ははげしくなっていく。そうした過渡期の混乱をもっともよく伝えるのが、村はずし、村八分という現象である」

  本書の中で、わたしがもっとも驚いたのが、この部分。村八分は、江戸時代からずっとつづいているものだと、なんとなく思っていました。ところが実態はそうではなくて、「むしろ共同体的な部落から近代的な部落へと変わってゆく過程で生じたものである」というのです。その理由は「生産プランを中心とした共同体ではその成員をみだりにふやしたり、へらしたりすることはできなかった。それはただちに生産にさしつかえることだったからである。したがって村八分などおこりようはなかった」。

  ところが、幕末から明治にかけて、部落内に新勢力が勃興し、旧勢力との間に対立が起きると、これまで続いていた共同体が完全に壊れた部落だったら、新勢力が勝っておわり。でも、「生産内容にかかわりある面は失われてゆくが、その形式的な側面すなわち冠婚葬祭などの行事慣習がなお保存されているのがほとんどであった」。たとえば、祭りの役割分担とか、葬儀の際の共同作業とかは昔のまま残されており、そうした方面で、気に入らない家をつまはじきすることで、「心理的に十分に苦痛を与えることは可能である。だから村八分は共同体の崩壊過程においてだけ生まれるもので、明治の村などにもっとも生じやすいものであった」。

  余談ですが、現在、共同体としての村がほぼ消えているはずの田舎でも、この記述のように、「擬制的な共同体が形式」として今も残っていると感じることはしばしばあります。わたしはこちらに来て、「村の法律と田舎の法律は違う」と言われ、別の人物からは「郷に入れば郷に従え」と言われました。「八分にしてやる」と脅された移住者もいると聞きます。「形式」すら存続できなくなった集落だと、やっと移住者は半端ものにされることなくすごせる、という皮肉めいた話もしばしば聞きます。こうしたことが、日本の農村の昔ながらのあり方ではなく、崩れかけた共同体だからこそ起きたことがらだという視点は、とても興味深い。

  本書には、なんと20年もの間ある新興の一家が八分にされ続けた話が載っています。八分がなくなったのは、この部落に小学校を作ることになり、小学校の建設費?をすべてこの家が出資してから、とのことです。村に多大な恩恵を施してもらって、いいかえると多額の出資を引き出して、やっと溜飲が下がったということなのでしょうか。ひどい話です。

  禄を失った士族たちの末路もすさまじい。私の父方の曽祖父は、いわゆる「士族の商法」で失敗して食い扶持をなくし、屯田兵として北海道に渡ることを決心した矢先、地元名古屋でなんとか仕事を見つけることができたので、遠い地に旅立つことはしないで済んだと聞いています。屯田兵、北海道開拓というと、見たことのない曾祖父のことをおもいだしていましたが、その実態をはじめて知ることができました。

  封建社会から近代社会へ。前時代と比べたら、住所も職業も選べるようになり、人々の自由度は増したように思えるのですが、内実は、簡単ではなかった。例えば村の共有物がなくなり、個人のものに帰すことで、山に住みながら勝手に薪を取ることができないとか、漁村に住みながら海草を自由に採取できないといった事態が起きました。また、職業選択の自由によって、それまで、下層の人たちが独占できていた仕事を他人に取られることになったりといったことも生じました。

  周防大島で生まれた民俗学者、宮本常一の、曽祖父から彼の父までの三代にわたる一家の辛苦の物語は、圧巻でした。決して平たんでない彼の生い立ちが、後年、彼独特の民俗学を産んだのだな、と納得できる一文です。

  第4巻も、多方面から見ないと物事がわかったとはいえない、ということを痛感する書物でした。次は最終巻。「近代の暗黒」です。

  

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