麺好きの私と夫にとって、麺のつゆは必需品。でも麺類に添えられているつゆは使いたくないので、自分で作るしかないわけなのですが、めんつゆを冷やす暇がなくて、「あつもり」になることがしばしば。寒い季節ならそれでもいいのですが、暑い夏にはやっぱりつゆも冷えていたほうがおいしい。
で、久しぶりに濃縮だしを作りました。この濃縮だしは、めんつゆだけでなく煮物にも揚げ物の下味付けにも使えるすぐれものです。水が一滴も入っていないので常温でずっと保存ができ、薄め方しだいで和食全般、なんにでも重宝します。
考案したのは、自然食料理研究家の丸山光代さん。20年以上前、大阪のマクロビオティックの協会で雑誌の編集に携わっていたときに彼女と知り合い、彼女の最初の著書「私の健康料理」(朝日新聞社刊)で、このだしのとりかたを学びました。
作り方は至って簡単。まず、コンブ20g、干ししいたけ20gを小さく刻みます。刻むのはあとで佃煮にするため。水には戻しません。削りカツオ2カップ、醤油3カップ、みりん1カップ、酒1カップを鍋に入れ、そこに刻んだしいたけと昆布を入れ、2,3時間置いてふやかします。
それから鍋を火にかけ、はじめは強火、煮立ったら弱火にして3分ほど煮詰めます。作業はこれで終わり。冷めたら漉して、瓶に入れます。5,6倍に薄めて使います。
鍋に残った材料に、4カップほどの水を加えて煮ると、二番だしが。そのあとまた3番だし、4番だしをとってもけっこう使えるつゆができます。こちらはかびやすいので冷蔵庫に入れて早く使い切ります。で、残った具材は出し汁を少し残してよく煮詰め、佃煮にします。これで、すべてむだなく使い切ることができます。
私は、いつもこの分量の3倍の量を作り、保存しています。切るのが面倒な固いシイタケは手でちぎっています。この味付けは、一般の味付けより甘みが少ないので、好みでみりんの量を増やせば、その家の立派なあわせ調味料になります。
丸山光代さんは、マクロビオティックの創始者・桜沢如一の直弟子の一人で衛生学者の、故丸山博氏の夫人。大正一桁のお生まれで、いまもご健在のようです。以前、彼女から直接お聞きしたことですが、結婚した当初、体が弱くて骨と皮しかないような体だった夫に力をつけさせようと、肉や卵・バターなど当時としてはぜいたくな食材を使って、栄養豊かな料理を食べさせていたところ、桜沢如一氏から強いお叱りを受けたそうです。
よかれとおもって心を砕いていたことに異を唱えられ、あしざまに言われ、最初はかなり戸惑ったとおっしゃっていました。でも、桜沢氏の指導を受けながら玄米菜食を基本にした食事に切り替え、ご主人もご本人もしだいに健康な体に変わっていきました。
私が彼女に最初にお会いしたころは、たぶん、70代半ばのお年だったと思います。博氏の原稿を受取りにお宅に伺い、原稿の出来上がるのをまっていると夕食時間になり、何度か彼女の手料理をご馳走になったことがあります。最近の美しくておしゃれなマクロビオティック料理とは違い、素朴で、見た目も取り立てて変哲もないような料理が並んでいましたが、口に入れるとじわっとおいしさが広がるような味わい深いものでした。小枝を切って削った箸が出てきたこともあって、そういう野趣もわたしには珍しく、魅力的に映りました。
「私の健康料理」に載っているおやつを、編集部のスタッフでそれぞれ作ってきて、みんなで試食したことがあります。そのとき、たしか別の人が作った「そばクッきー」がことのほかおいしくて、以来、粉や素材を変えていろいろ作り続けました。現在、アンティマキの定番商品になっている穀物クッきーの原点は、この、松山光代さんの「そばクッきー」にあるのです。
彼女が80代半ばのころ、当時私が関わっていた地方局のラジオ番組に出ていただいたことがありました。お会いしなくなって10年近くたっていたのですが、背中が丸くなられたほかは、皮膚の色艶も髪の毛もほとんど変わりがなくて、おどろいたものです(関連記事は
コチラ→)。その後しばらく年賀状のやり取りを続けていたのですが、ある年の年賀状に、「高齢のため負担が大きいので、来年からは賀状のやり取りはやめにします」という言葉が書き添えられてありました。おそらく90前後の年齢のころだったと思います。それ以来、なんとなく連絡しそびれ、今日に至っています。
先日ネットで調べたら、昨年彼女をお尋ねした人が、「95歳の今も元気になさっている」と、ブログに載せていました(
コチラ→)。さすがです。彼女のレシピから生まれたアンティマキの穀物クッキーを、彼女の元にお届けしたいなと、しきりに思うこのごろです。