風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

天才は時代の課題を背負う  (連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』第61話)

2011年11月01日 06時45分45秒 | 連載エッセイ『ゆっくりゆうやけ』
 
 おもしろい音源はないかなと思って『ニコニコ動画』のなかを探していたら、尾崎豊がさだまさしの歌をカバーしたものがあったので、さっそくかけてみた。
 尾崎豊とさだまさし。
 まったく想像のつかない取り合わせではないか。面白そうだ。
 音源は尾崎豊が十四歳の時のもので、学園祭かなにかで『縁切寺』と『雨やどり』を弾き語っている。ちなみに、『縁切寺』はさだまさしが組んでいたフォークデュオ「グレープ」の代表曲で、シングルにはなっていないけど、ファンの間では人気が高い。鎌倉の東慶寺(縁切寺)を舞台にしたせつない悲恋の歌だ。
 いっぽう、『雨やどり』はさだまさしがソロになった時の一枚目のシングル。コミカルでほのぼのとしたラブソングだ。
「それでは『縁切寺』へいきたいと思います」
 という初めのトークからして、グレープ時代やソロになったばかりの初期のさだまさしのそれにそっくりだ。やさしい好青年。
 それにしても、なぜ尾崎豊がさだまさしの真似をしているのか?
 僕は目が点になった。
 画面に出てきたコメントよれば、尾崎豊はさだファンだったのだとか。コアな尾崎ファンは知っていたのかもしれないけど、僕は初めて知った。
 ギターのイントロとともに『縁切寺』の弾き語りが始まった。
 中学生の声なのでとてもかわいい。
 まだ声変わりしていないのではないかと思わせる澄んだ高い声だ。とはいえ、幼稚なところはまったくない。さだまさしの曲は半音上がったり、半音下がったりするので非常に難しいのだけど、基本的に音程をしっかり取りながらとても丁寧に歌っている。
 尾崎少年は高音をあやうく綱渡りするようにたどったり、声にビブラートをかけたりして、すっかりさだまさしになりきっている。もちろん、たんに物真似をしているだけではない。情感をたっぷりこめて歌っているから、悲しい恋を振り返る主人公の気持ちが十分すぎるほど伝わってくる。それも、思春期特有のどこか微熱をはらんだナイーブさと不安定さをないまぜにして。尾崎豊はやっぱり天才だったのだと、あらためて納得させられた。まだ年端もゆかないのに、楽曲の本質をしっかり把握したうえで歌っている。こうした感性は天賦の才なのだろう。
 曲の間のMCは、さだまさしが「やさしさ世代の代表」と呼ばれていた頃を彷彿《ほうふつ》とさせるあたたかくてやさしいトーク。
 次に、尾崎少年が「学校をずる休みした時に歌っていた」という『雨やどり』へうつる。
 これもさだまさしそっくりなのは、言うまでもない。明るくて楽しそうな歌声を聴いていると、微笑みながら歌っているニキビ面が目の前に浮かんでくるようだ。主人公の女の子の気持ちになりきって、サビのところをきれいに歌い上げている。高い声がなにより魅力的。僕は思わずうっとり聴き入ってしまった。尾崎豊がこんなにかわいいとは知らなかった。
 僕は尾崎豊のベストアルバムを一枚持っていただけなので、彼の歌のことをくわしくは知らない。彼を語る資格もないと思う。だけど、一般的に言って、尾崎豊といえばやはり「反逆者」のイメージが強いのではないだろうか。『十五の夜』で「盗んだバイクで走り出す 行く先もわからないまま」と叫び、『卒業』で「夜の校舎 窓ガラス 叩いて回った」と叫んだあの姿だ。だけど、このカバー音源から聞こえてくるのは、やさしくてナイーブでかわいらしい好青年尾崎豊だ。
 彼が影響を受けたシンガーはさだまさしのほかにもいるのだろうけど、この音源を聴いた限りでは、典型的な叙情派フォーク青年としか思えない。あのまま成長していれば、尾崎豊は第二のさだまさしになっていたのかもしれない。さだまさしのように日本情緒を得意としてやさしく哀しく歌い上げるシンガー・ソングライターになっていたのかもしれない。
 おそらく、時代がそうはさせなかった。
 天才児は、時として、「時代の課題」あるいは「時代を病理」を背負うことになる。それは、天才だけの特権でもあるし、天才だけの悲劇とも呼べるものだろう。近代文学で言えば、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、中島敦といった作家たちは、時代の課題や時代の病と向かい合い、血へどを吐きながら作品を書いた。
 尾崎豊がスターダムにのしあがった頃は、一億層中流社会がほぼ実現し、日本人全体が経済的に一番豊かだった時代だった。だけど、その陰では人の絆が断ち切られ、人間関係の酷薄化が進んだ。管理のための管理社会ができあがりつつあった。高度成長を遂げた後で、人間をモノ扱いするという近代化の負の側面が重くのしかかっていた。
 僕が中学生の時、学校の先生がこんなことを言ったのを覚えている。八十年代半ばのことだ。
「今の時代は個性的な人なんていらないんですよ。金太郎飴みたいにどこをとっても同じような人がいるんです。みんないっしょ。それが企業に求められている人材なんですよ。そういう人たちを育てるのが教師の役割なんです」
 尾崎豊のような天才なら、そこになにか後ろ暗いものをかぎとったのだろうけど、ぼんやりした中学生だった僕には、その発言に潜む欺瞞や罪深さを見抜けなかった。ただ、漠然と人をなめているなあとしか感じなかった。
 金太郎飴などにさせられたのでは、たまったものではない。
 人にはそれぞれの個性がある。自分の人格は自分で創るものだ。自分の人生は自分で創るものだ。ほかの誰でもない、自分自身で決めて、自分自身で築き上げるものだ。
「俺はここにいる」
 時代は、そう叫んでくれる代弁者を必要としていた。おそらく、尾崎はその要請に応えて、反逆児になった。反逆児とは真実の告白者であり、虚偽の告発者だ。彼は世間の嘘を糾弾し、人生にとって大切なことを唄い続けた。血へどを吐きながら自由に生きさせない世間に抗い続けた。
 ただ、天才は幼い頃に自分の形ががっちり決まってしまうので、今度は逆に自分の殻を突き破ることが難しくなる。
 人は誰でも歳をとる。もちろん、天才も例外でない。歳をとれば、若かった頃には見えなかったものが見えるようになる。思慮深くもなる。人はそれを成熟と呼ぶ。
 天才もやはり人だから、成熟する。成熟すれば、それなりの方向性を探し出し、それなりの殻を身につける必要がある。平たく言えば、新境地を切り拓き、自分の器をもっと大きくしなければならないということだ。だけど、天才の殻は硬くて強すぎるから、なかなか脱皮できない。才能に恵まれているだけに、そのぶん、脱皮の苦しみは凡人の想像を絶するものがあるだろう。天才芥川龍之介が「将来に対する唯ぼんやりした不安」に押しつぶされて自殺してしまったように、たぶん、尾崎豊も脱皮に失敗してしまったのだと思う。彼は二十六歳の若さで他界した。残念なことだ。

 今では、校舎の窓ガラスを叩き割るなどという話を聞かなくなった。だけど、「俺はここにいる」と叫びたい気持ちは、きっと当時も今も変わらないと思う。人の絆が断ち切られた今では、叫んでもむだだとあきらめているのだろうか。それとも、若者にそう叫ばせないほど、社会ががんじがらめになってしまったのだろうか。その両方かもしれない。
「俺はここにいる」
 尾崎豊が背負った課題は、今も解決がついてない。



 尾崎豊さんがカバーしたさだまさしさんの歌。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1443960



 この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第61話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/


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