小説『三国志』の南蛮遠征の話が好きだ。『三国志』ファンなら誰でも知っていると思うけど、諸葛孔明が遠い雲南省まで遠征する話だ。
『三国志』のなかでも、あの部分だけ雰囲気が違う。異国情緒(中国から見れば)たっぷりに描かれていて、象兵が出てきたり、瘴気を出す川があったりしてなんだかどきどきしてしまう。孔明が快勝するのも気持ちいい。
小説では諸葛孔明が雲南の地へ深く入りこみ、南蛮王・孟獲を七度捕らえて七度解き放し、ついに心服させたことになっている。雲南省南部の思芽という町には、諸葛孔明が馬を洗ったとされる池が記念公園になっていて孔明の像が立っている。雲南省南部の少数民族には、田んぼで牛が牽く鋤は孔明がもたらしたという伝説もある。
ある時、中国でテレビを観ていたら三国志特集を放送していた。
孔明ははたして雲南省のどこまで進軍したのかということがテーマになっていたのだけど、出演した中国の学者さんは、なんと孔明はビルマ(ミャンマー)まで行ったと主張していた。
「歴史書の『三国志』には孔明が『不毛の地へ入った』とする記述があるが、深い森につつまれた雲南省が不毛の地などであるはずがない。『不毛』というのはきっと地名を音訳したもの違いない。不毛の発音はブーマオ。ずばりビルマ(ミャンマー)だ」
と、学者さんは自信たっぷりに言い切る。
いくらなんでも「不毛」がビルマというのは飛躍しすぎじゃないか? 僕の頭のなかは?マークだらけになった。珍説奇説を堂々と主張するところが中国人の面白いところでもあるのだけど……。
びっくり仰天した僕は、中国の大学院で中国史を研究していた日本人にほんとうにそうなのか訊いてみた。
「いやあ、実を言うと孔明が雲南省まで行ったのかどうかもあやしいものなんですよ。たぶん、四川省の南部の少数民族地帯まで行って、そこで全体の指揮を執っていたのだと思いますよ。個々の武将はもちろん雲南省へ行ったわけですけど。かりに孔明が雲南省へ入ったとしても、せいぜい雲南省北部まででしょうね。昆明まできたかどうか……。ビルマだなんて、絶対に行ってないですよ」
彼は参ったなあという顔をしながら僕に解説してくれた。
孔明ファンの僕としては、ビルマはともかく孔明が雲南省で大活躍したことにしておいてほしかったから彼の話を聞いてちょっとがっかりしてしまったのだけど、史実がそうなら仕方ない。雲南省南部にある孔明が馬を洗ったという池のことを話すと、彼は「あり得ないです」と苦笑していた。
伝説にいろんな尾ひれがついて話がふくらむのは、さすが諸葛孔明と言うべきか。
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第64話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/