風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

蜀犬、日に吠ゆ (エッセイ)

2012年05月21日 02時03分33秒 | エッセイ

 バックパッカーをしていた頃、八月末から十二月の初め頃まで成都に滞在したことがあった。いわゆるパッカー用語で言う「沈没」で、のんびり日々を過ごした。
 僕は、小学校五年生の時に岩波ジュニア文庫の『三国志』(抄訳《しょうやく》版)を読んで以来、大の三国志ファンだ。NHK人形劇『三国志』の初放送は欠かさず見ていたし、岩波文庫の『三国志』(こちらは全訳版)も、吉川英治の『三国志』も読んだ。お向かいのおじさんに湖南文山版の挿絵つき三国志を借りて読んだ。大人になってからは、北方謙三の『三国志』にはまり、DVDになったNHK人形劇『三国志』はタバコ代を削って全部そろえた。コーエーのゲームも初代から八代目くらいまで毎回買って、中国大陸を二百回以上、征服した(今から思うと、むだに征服しすぎたと反省している)。
 諸葛孔明や蜀の将軍が大好きなので、成都がどんなところなのか、この目で見て、肌で感じてみたかった。
「めっちゃ大都市やん」
 それが初めての印象だ。
 成都の市街地へ入ったバスは、どこまでもビルの谷間を走る。
 実際、成都市は人口一千万人の大きな街だけど、山ばかりで人がまばらな四川省西部のチベット族居住地域を抜けて成都入りしたから、よけいに都会に見えたのかもしれない。
 八月の末はまだ雨季なので、一日中雨がしとしとふっている。一瞬やんだかと思うと、また雨が降る。
 雨の武候祠(孔明の祠、劉備の墓もある)や杜甫草堂は、なかなか風情があってよかったのだけど、困ったのは洗濯物だった。四川盆地一体に湿気がこもっているので、干してから二日経っても乾かない。そのうち、水分が腐ってへんな臭いを放つ。しかたがないので、洗濯した後はホテルの部屋の扇風機を全開にして、その前に洗濯物をぶら下げて乾かすことにした。これだと二三時間で乾いてくれる。なにせバックパッカーなので、ホテルのクリーニングサービスなんて高くてとても利用できない。十円、二十円を節約する貧乏旅行だ。
 九月の末くらいに雨季が終わり、乾季になった。
 だけど、ずっと曇り空が続いてなかなか晴れてくれない。日本でいえばうす曇りの天気が毎日続く。
 洗濯物はそこそこ乾いてくれるようになったし、激辛の四川料理にも慣れてきた。四川料理の辛さは、「麻辣(マーラー)」と呼ばれる。「麻」は、痺れるという意味で、山椒をたっぷり使うので舌がピリピリする。「辣」は唐辛子の辛さ。初めはとても食べられなかった。痺れすぎて辛すぎて、舌ばかりか、唇や口の感覚すらもなくなってしまう。だけど、慣れれば四川料理のピリピリ・ヒリヒリ感に中毒になる。なんとなく舌をピリピリ・ヒリヒリさせたくなって、夜、ふらりと横丁の屋台へ行っては串焼きを買って食べたりする。きのこに山椒と唐辛子をふったバーベキューが好物だった。
 閑話休題《はなしをもとへもどして》。
「蜀犬《しょくけん》、日に吠ゆ」
 という諺がある。
 四川省、つまり蜀の地はなかなか晴れず、太陽をほとんど見ることができない。だから、たまにお日様が顔を出すと、犬が「なんか変な奴がいる」と怪しんで太陽に向かって吠えるというものだ。ここから意味が転じて、浅知恵の者が優れた人物の立派な言行に対して軽率に非難・攻撃するということにたとえられるようになった。テレビに出演しているコメンテーターたちの言動を見るとわかりやすいだろう(もちろん、なかには優秀な人もいるけど)。あるいは、不当な国策捜査を繰り返す東京地検特捜部もこの範疇に入るかもしれない。
 三か月すこし成都にいて、快晴になったのは一度だけだ。
 あの時は、ほんとうに青空がまぶしかった。うれしさのあまり日光浴したほどだった。太陽がこんなに貴重なものだとは、思わなかった。だけど、その一日以外は、雨かうす曇。
 司馬遼太郎が『街道を行く』のなかで、この「蜀犬吠日《しょくけんはいじつ》」のことを書いている。司馬先生はうす曇の天気を見て、地元の四川人に、
「この天気は晴れでしょうか。それとも、曇りでしょうか?」
 と尋ねたところ、
「晴れですよ」
 と、こともなげに返事が返ってきたそうだ。
 僕はこの話を確かめたくて、太陽のありかがぼんやりとわかるくらいのうす曇の天気を指しながら友人の成都人に訊いてみた。
「この天気は晴れ、それとも曇り?」
「晴れに決まってるじゃない。当たり前でしょ」
 彼女は、なんでそんなことを訊くのかと不思議そうに答えてくれた。
 司馬先生の書いた話はほんとうだったんだ。僕はうれしくなった。司馬先生が嘘を書いたとは思わなかったけど、自分の目と耳で確認できて心底納得した。四川人は、うす曇を晴れだと感じている。
 十一月へ入って気温がさらに下がると、よく霧が立ちこめるようになった。
 ロマンティック、あるいは幻想的な雰囲気なのだけど、湿度が高い分、寒さが骨身にしみる。心底しみる。
 インナーを着込んで、ジャンパーを羽織っても寒くてたまらない。
 ホテルの部屋には暖房がない(中国の長江以南は基本的に暖房を使わない)ので、ベッドへ入ってもがたがた震えてばかりでなかなか寝付けなかった。掛け布団は冷たく湿っぽいし、冷蔵庫のなかにいるようだ。
 こんな気候の蜀で劉備を皇帝にするために激務をこなしていた諸葛孔明は、さぞ体を痛めたことだろう。さすがの張飛や趙雲もすこしばかり気分が滅入ったに違いない。
 そんな寒くて凍える夜は、激辛料理がいちばん効く。
 屋台まで行って串焼きを買いたかったけど、寒がりの僕はとても外へ出られなかったので、ホテルの部屋で激辛インスタントラーメンを寝る前に食べることにした。
 効果覿面《こうかてきめん》。
 体がほくほくしてぐっすり眠れるようになった。
 汗もかくので、湿気でだるくなった体もしゃきっとする。
 四川人が激辛料理を常に食べるのには、わけがあった。
 太陽をなかなか拝めず、雨が降り続いたり、霧が立ちこめたりして、おまけに四方を山に囲まれた盆地なので、その湿気が風で吹き飛ばされることのないじめじめした気候では、体を温め、発汗作用のある唐辛子と山椒は彼らにとって生活必需品なのだ。激辛料理なしでは、彼らは元気になれない。
 それにしても、と思う。
 三国志の時代はまだ唐辛子がなかったはずだ。
 蜀の諸将はいったいなにを食べて体を温めていたのだろうか。やはり、塩分の濃いものをとっていたのだろうか?
 張飛は、酒で温まっていたのだろうな。
 塩を肴にして、くびくび酒を飲み干す張飛の姿が目に浮かぶ。





成都・武候祠に飾ってある張飛像。


 了


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