知人にいい口腔科を教えてもらい、さっそく行ってきた。
歯の痛みだけはどうにも抑えがたい。
前回、親知らずが痛むと書いたけど、痛んだのは親知らずではなくて、一番奥の奥歯だった。何年か前にご飯にまざっていた石を嚙んでしまい、ぱっくり割れたのだけど、痛くないからとそのまま放置していたのがいけなかった。ぐりぐりと歯のなかをこねくりまわされ、脳天を貫く痛みが走る。治療が終わった後はぐったりしてしまった。歯科治療だけは、いい歳をした大人になっても慣れない。
根幹治療をして、欠けた部分をかぶせて、四回通って、〆て一五五〇元也。今のレートでいえば、約二万円弱。保険は利かない。これが高いのか安いのか、正直言ってよくわからない。よくわからないけど、薄給の身にこたえる支出であることは確かだ。もっと早く診てもらえばよかったと思っても後の祭り。なんともトホホな支払いだ。
もちろん、探せばもっと安い歯科はいくらでもあるけど、ローカルの藪医者にあたって苦労した話もちらほら聞くので、治療に失敗されても困るからまずまずの評判のところを選んだ。代金は、第一回目の治療の時に全額を支払った。基本的にこちらの病院は前金制だ。
昔、広州の男の子にこんな話を聞いたことがあった。
彼は、彼女とデートの約束をしていた。
早く着いた彼は待ち合わせ場所で彼女を待った。ほどなく彼女が現れて道を渡ろうとする。と、その時、走ってきた車が彼女を轢いてしまった。
救急車を呼んで病院へ担ぎ込んだものの、医師は治療を始めてくれない。病院側は前金として五〇〇〇元を支払うように彼に求めた。前金を払わなければ治療しないという。学生の彼がそんなお金を持ち合わせているわけもない。彼女の親や彼の親に電話したが、すぐにはこられない。
そうこうするうちに彼女は息を引き取ってしまった。
どうしようもなかったとはいえ、彼は彼女を見殺しにしてしまったと悩み続けた。僕は、つらそうな顔をして涙ぐむ彼になんといって慰めたらよいものか、言葉が見当たらなかった。
日本なら、お金のことは後回しにしてとりあえず救急治療を行なってくれる。その点、日本のほうがずっとましだ。中国はお金が万能の社会。お金が万能ということは、逆に言えば、お金がなければ命すら救ってもらえないということだ。表面上は華やかな町だけど、ずいぶん怖いところに住んでいるのだとも思う。
ところで、香港在住の知人に聞いたところ、僕と同じような治療をすれば、ごく普通の歯科医で約五〇〇〇元(六万円強)はかかるのだそうだ。不思議に思った彼は周囲の香港人にその値段をどう思うかと訊いてみたのだが、
「それくらいするだろうね」
とみな納得していたのだとか。ちなみに、彼は日本語通訳がついてハーバード大学卒業の医師が治療してくれるという高級口腔科へも行って診察を受けたのだけど、そちらでは、一万元(約十二万五千円)かかると言われた。もちろん、どちらも保険は利かない。
困った彼は痛いのをしばらく我慢して夏休みに日本へ帰り、親がかけてくれていた国民健康保険で治療した。往復のエアチケットと治療費をあわせても、香港のごく普通の歯科医で治すよりずっと安くあがったそうだ。
香港の歯医者にかかればちょっとした虫歯を治すだけでも数万円かかると耳にしていたけど、ほんとうにこんなに高いとは思いも寄らなかった。香港の治療費があまりにも高額すぎるため、大陸へきて治療を受ける人もわりあいいるのだとか。
それにしても、どうしてそんな値段になるのだろう? 日本は歯科の治療代が特別安くて、ほかの国では高いものなのだろうか? 謎だ。
(2011年8月8日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第119話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/