大西洋に浮かぶ島。大航海時代は新大陸との貿易の中継地として栄えたマデイラ島の写真の続き。

山の上の教会。





教会のなか。
マリア像を熱心に拝む人が多かった。

8月14日は被昇天祭の前夜祭がある。
こちらはマリア信仰が篤いようで、教会のなかにも外にもマリア像が置いてある。
写真は教会の外に祀ってあるマリア像の参拝風景。
キリスト教は基本的に父性原理の宗教だ。
それを補完するために、母性原理のマリア信仰が盛んになるのだろう。
人は誰でも母のやさしい懐に抱かれたいと思うものだから。
泣きながらこの世に生を享けた人間にとって、母は神様のような存在だから。
「宗教」と「信仰」はまた別のものなのだろう。
「宗教」は人々の生活に規律を与えもすれば、束縛もする。
それがいいか悪いかは別にしてだけど。
「信仰」はこころに拠り所を与え、罪を犯さずには生きていかれない人間が内省するきっかけを与える。
人は困難に巡りあった時、自分の命を預けられる存在を求める。
それがマリアという母なるものの懐(ふとこ)ろなのかもしれない。
時にはすがるようにしてマリア像を拝む人々を眺めながら、ふとそんなことを思った。

山の上の教会からフンシャルの街と蒼い海を臨む。