個性の基盤となるのは、「俺にも個性があるが、お前にも個性があることを認める」という共通認識だ。言い換えれば、「俺にも譲れないものがある。だが、お前にも譲れないものがあるのはわかるよ」ということだ。
個性はあくまでも独立し、そして、あくまでも屹立する。
個性と個性がぶつかれば、争いが生じる。
お互いに生き方が違うのだから、しかたのないことだ。
ただ、それを単なる争い事や揉め事に終わらせるのか、よりよく生きるためのナイスゲームに変えるのかでは大きく違ってくる。単なる争い事や揉め事はなにも生まないが、ナイスゲームは人生になにかをもたらしてくれるから。相手を認めないことにはナイスゲームは始まらない。相手を認めない個性は、単なるわがままにすぎない。
さて、個性と個性は本来、どこまでもパラレルで交わらない平行線であるものだが、それを互いに認めさせるものはなんだろう? 交わらない平行線を交わらせるものはなんだろう?
(2012年8月11日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第195話として投稿しました。 『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/