たまたま、中国国内の旅先であるカップルと知り合い、一緒に食事したことがある。
育ちのよさそうな北京人の男性とやさしそうな日本人女性のカップルだった。男性は三十歳をちょっと過ぎたくらい。女性は二十代後半だった。
レストランへ入り唐辛子でスープが真っ赤になった四川火鍋の注文を始めたのだが、どうも二人の様子がおかしい。鍋のなかへなにを入れるのかが決まらない。二人でなにごとかを話しているのだが、ちぐはぐなのだ。
メニューを開いてずいぶん経ってから、
「あ、キノコのことね」
と女性が言い、
「わたしは中国語がわからないし、彼も日本語ができないから、ひとつのことを理解するのにとても時間がかかるの」
と照れくさそうにうつむいた。
男性は北京でインテリアデザインの設計をしていて、彼女はその彼の家で一緒に暮らしているのだそうだ。時々、彼のお母さんがやってくるので、一緒に料理を作ったりするのだとか。
彼の母親とやり取りしないといけないとなると、さすがに言葉なしではしんどいだろうなと思うのだけど、たぶん、彼女は非常におっとりした人なのだろう。
「言葉を覚えなきゃいけないと思うけど、なかなか覚えられなくて。覚えないといけないのよね」
と言っていた。日本人と中国人の場合、筆談をして漢字を書けばある程度意思疎通できるはずだけど、それをする気もないようだった。
言葉の通じない二人だけど、とても仲睦まじそうだった。彼女は大切にしてもらって満ち足りた様子だ。彼は彼で、好きな彼女がそばにいてくれればそれでいいというふうに、温かく彼女を見守っている。注文するときも、「君の好きなものでいいよ」という感じだった。
どうしてカップルになったのか訊きそびれてしまったのだけど、きっと素敵な出会い方をしたのだろうな。
愛は言葉を超える?
(2016年8月27日発表)
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第373話として投稿しました。
『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
http://ncode.syosetu.com/n8686m/