風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

俺が人間でいるうちにこの命を取り上げてください――受難者の記 (短編小説)

2011年02月23日 00時45分34秒 | 短編小説

 俺の生きてる意味がわかりません。
 今日までなんとか生きのびてきましたが、持っているお金がとうとう三十円になってしまいました。じゃがいもコロッケ一個すら買えません。
 今、小さなリュックを背負って、紙袋をさげて新宿駅の東口にいます。服は汚れきって、もう何日もシャワーを浴びていません。昨夜《ゆうべ》、生まれて初めて野宿しました。ダンボールを拾い集めて、公園の片隅に寝床を作りました。寝てる時に誰かが俺のダンボールに小便をひっかけていったけど、怒る気力すら湧きませんでした。小便の匂いが鼻について、悔しくて、自分が情けなくて、まんじりと一晩を過ごしました。ほとんど眠っていません。
 ケータイから派遣会社へ仕事の斡旋を依頼しましたが、なしのつぶてです。ダンボールのなかでうずくまってる気もせず、なんのあてもなくふらふらと出てきました。
 新宿はいつもと同じ賑わいです。
 俺とはなんの関係もない騒々しさです。
 東口広場の階段に腰かけても、ため息も出てきません。
 じっとこらした硬い息を口から吐いて、匂いもなにもしない硬い空気の塊を吸いこむだけ。心が石になってしまいました。道行く人々が人間ではなく、なにか動物のように思えます。牛の群れか馬の群れでも歩いているような、へんな感じです。どうしてこんなふうに感じるのか、自分でもよくわかりません。きっと、心がおかしくなっているのでしょう。
 なにか売れるものはないかとさっきリュックのなかをあさってみたけど、これといったものはありませんでした。唯一の財産だったノートパソコンはとうに売り払ってしまったし、着替えの服も売ってしまいました。ケータイは売れるのでしょうが、ケータイがなければ日雇いの仕事にすらありつけません。ケータイは俺にとって命綱なんです。もっとも、たとえ仕事があっても、現場へ行く交通費もありませんが。
 この五年間、派遣労働者になって日本中をさまよってきました。だいたいが工場勤めです。わずかばかりのお金を貯めて、仕事に慣れてきたかなと思った頃に工場の寮を追い出されて、減るばかりの貯金残高におびえながら別の仕事を探してまた働いて。そんなことを繰り返してきました。貯金がゼロになる前にすべりこみセーフで仕事にありついたことも何度かありましたが、今度ばかりは仕事が見つからず、とうとうお金も尽きてしまいました。げっそり廋せました。さっき、公衆トイレで自分の顔を見たら、ひどいものでした。目のまわりには太い隈がこびりついて、まるで麻薬に蝕まれた幽鬼のようです。
 好きでこんなことをしてるわけじゃありません。
 就職活動に失敗してしまったから、しょうがなくやってるだけです。ほんとうはきちんとした仕事を持って、人並みに暮らしたい。おんぼろのアパートでいいから、自分で部屋を借りたい。自分の蒲団でぐっすり眠りたい。だけど、派遣で短期の仕事をこなしているだけの俺にはこれといったスキルも経歴もありません。資格だって運転免許証くらいなもので、普通車と限定解除の自動二輪です。特別なものはなにもないから、派遣会社にピンはねされるとわかっていても安い賃金で単純作業をこなすしかないのです。
 こんな時に頼れる人は誰もいません。
 高校時代の友人が東京で働いているので、迷いに迷った挙句、さっき思い切って電話をかけてみましたが、この電話番号は使われておりませんと自動音声が流れるだけでした。いつの間にか電話番号が変わっていました。
 もっとも、会えたところでどんな顔をして彼と向かい合えばいいのか、わかりません。高校の時はそこそこの付き合いがあったけど、それほど仲がいいというわけでもありませんでした。もう何年も連絡を取っていない同級生がいきなり現れてお金を貸してほしいと言われたら、きっと彼は困ってしまうでしょう。彼は名の通った会社で正社員として働いてるそうですから、俺のことを馬鹿にするかもしれませんが、もし彼に馬鹿にされたとしても、それほど苦にはなりません。派遣会社の人にも、派遣先でも、今までさんざん馬鹿にされて生きてきました。もう慣れっこです。俺には価値などないのだから、馬鹿にされるのもしょうがないと思います。だけど、人を困らせるのは俺としても心苦しいです。人は自分が困った時、相手に弱味を見せまいとして人を馬鹿にする態度を取るものですから。
 もちろん、彼が人の悪い奴だと言っているのではありません。高校時代の彼はおおらかで気のいい男でした。テスト前にはよく彼のノートを借りたものでした。彼なら、こんな俺にでも親切にしてくれるかもしれません。――きっと、こんなふうにしか考えられないのは、俺が卑屈になりすぎて、そんな自分自身に慣れすぎてるからなのでしょう。人を信じられないのは、俺自身が悪いのです。
 彼のほかには東京に友だちも知り合いもいません。話す人など、誰もいません。もう何日も人とまともな言葉を交わしていません。まるで、言葉の通じない外国でぽつんと迷子になってしまったようです。
「今日はいい天気ですね」
 そんな挨拶だけでもいいから誰かと交わしたいと切実に思います。腹が減ってるだけではありません。会話に飢えています。人間が話す言葉に飢えています。誰でもいいから、言葉のキャッチボールをしたくてたまりません。もし、言葉を交わした人がたわいもない冗談でも言ってくれたら、どれだけ救われることでしょう。
 親元へ帰ったらと言われるかもしれませんが、たとえ野垂れ死にすることになっても、それだけはできません。
 家のことを考えると嫌なことばかり思い出します。俺がなにを訴えても知らん顔をする父、一から十までなんでも言うとおりにしないと気の済まない母。よくある話ですが、無関心な父と過干渉な母に育てられました。父と母は人前では仲のいいふりをするけど、家の中では喧嘩すらしない冷え切った仮面夫婦でした。もう二度と戻りたくありません。戻ったらきっと、俺が自殺するか、俺が両親を殺すかの二つの道しかないでしょう。もう親に失望したくありません。現実がまったくわからないあの二人に、親のわがままを押し付けられるのも御免です。
 こんなことを言うと甘えてるからではと思われるかもしれませんが、壊れた家庭に生まれた人間にしか、そのつらさはわからないものです。ごくふつうに育った人にはまったくわからないことなのです。壊れた家庭の子供は、両親の世間体をつくろうための道具でしかありません。毎日、両親のゆがんだエゴのために、いろんなことに傷つきながら大きくなってしまいます。そんな日々は断ち切ってしまいたいものなのです。俺にとって、家庭は帰る場所ではありません。拘置所の檻です。思い出すだけで、胸が悪くなってきました。
 昔はともかく、これからどうすればいいのでしょう。それが問題なのですが、途方に暮れるばかりです。
 現実的に考えれば、本格的にホームレス生活を始めて、ゴミ拾いでもするしかありません。十円玉三枚ではネットカフェに入れてもらえませんから。でも、ホームレスにはなりたくありません。わかっています。そうするしかないんだと。でも、どうしても嫌なんです。ネットカフェならまだ我慢できます。路上で寝るのだけは勘弁してほしい。せめて、屋根のあるところで寝たいんです。それは許されない贅沢なのでしょうか。
 自殺するか、それとも、悪いことをして人からお金を奪うか。
 その二つしか、頭に浮かびません。
 俺の望みはささやかなものです。
 もう一度、今この夕焼けのなかを歩いている人たちの群れに入れてほしい。建ち並ぶビルのどこかに俺を受け入れてくれる場所が欲しい。ただ、それだけ。ほんとうにそれだけです。人の温かさに触れることができたら、今感じている人が人でないような、自分とは関係のない動物の群れとしか思えないような、そんな妙な感覚も消えるのでしょう。俺も世間へ入れてほしい。世の中の一員として認めてほしい。ただそれだけです。
 でも、むりなのでしょう。
 誰もどこも、俺を受け入れてなんかくれません。
 失業は罪ですか? 仕事を失ったというだけで、どうしてこんな思いをしなくちゃいけないのでしょう? これはなにかの罰なのでしょうか? 俺は、もうわかりません。
 どうせ死ぬのなら、誰でもいいから通りすがりの人を道連れにしたい。そんな思いがふつふつと心の底にたぎります。いけないことだとはわかっていますが、どうしようもないんです。やけになったというだけではないようです。無性に復讐をしたい。誰でもいいから、俺をこんな目に遭わせた奴らに仕返しをしたい。どうしてもそう思ってしまうんです。もちろん、十分過ぎるほどわかってます。道を歩いてる人々に罪などありません。誰が悪いわけでもありません。悪いのはふがいない俺です。でも、そんな考えは小さくしぼんでいきます。だんだん理性を失う自分がわかります。こんなことを考える自分が恐ろしい。
 秋葉原で連続殺傷事件があった時、犯人はなんて馬鹿で愚かな奴なんだろうと腹が立ちました。ネット上で犯行予告をしておいてから、レンタカーで歩行者天国へ突っこんで人を跳ねて、それから次から次へと通行人をサバイバルナイフで刺したあの事件です。十名くらいの方が亡くなったのでしたっけ。
 正直言って、あの犯人は変わり者なんだと思いました。俺も非正規労働者で人とも思われない存在だけどまがりなりにもちゃんとやってるし、まわりを見ても、いくら苦しくても道を踏み外さずにまっとうに生きてる人がほとんどです。それなのに、あんなことをやらかすのはとんでもない奴だと思いました。でも、今は彼のことが他人事だとは思えません。まわりから無視されて、否定され続ければ、誰でもああなってしまうのだと思います。とくに、俺みたいにお金もなくなって、生きる手段も失ってしまえば、まわりを怨むし、誰でもいいから傷つけたくなってしまいます。まわりがみんな敵に思えてしかたないんです。やさしい人だって、親切な人だって、自分と気の合う人だって、きっといるはずなのに。ほとんどの人は、真面目に働いて、真面目に暮らしてるはずなのに。
 人も、ビルも、看板も、風景も、みんな赤一色に染まっています。夕焼けに赤く染まった人たちが、みな、血しぶきをあげているようです。これから俺が殺してしまう姿がデジャブのようにして見えます。
 こんなことなんて考えたくもないのに、どうしてとめどもなく心に浮かんでしまのでしょうか。自分が嫌でたまりません。
 いったい、俺はなんのために生まれてきたのでしょうか?
 誰のために生まれてきたのでしょうか?
 こんな俺に生きる意味なんてあるのでしょうか?
 誰かとめてください。
 神さまがいるなら、俺を罰してください。
 俺が人間でいるうちに、この命を今すぐ取り上げてください。
 このままだったら、俺、もうなにをしでかすかわかりません。




 了



本作は2010年2月21日「小説家になろう」サイトに投稿しました。
http://ncode.syosetu.com/n9595j/


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。