アパートの中に入りぼくが使っていた部屋のドアを開けた。部屋の中はガランとして空気が止まったようだ。ベッドもテーブルもそのままになっている。あのベッドに座ってぼくはスタッフを吸い続けていた。スタッフに溺れたぼくしか知らないマリーは
「トミー素晴らしいわ」
「ありがとう、やっと退院できた」
彼女は心から喜んでくれた。そんな彼女を見ているとぼくはちょっと照れた。オート力車は料金を払わず待たせたままだ、時間はそんなにない。国境を抜けるときサポートが必要だ、信頼できるネパール人の手配とデリー~ゴラクプール行の夜行列車バイシャーリExp2名分の切符代を彼女に渡し夕方ホテルで会う約束をしてぼくはオート力車に戻った。
午後、ホテルへマリーが来たがデリー駅の外国人用予約オフィスは閉まっていたらしい。明日の朝、彼女はもう1度デリー駅へ行ってくれる。1週間前から予約ができるので1月2日の切符はもう買えないかもしれない。彼女は外で待っているフィリップスとネパール人に会いに行くと言って出掛けた。明日ゴールデン・カフェで会い同行者のネパール人について話し合う予定だ。
年の瀬はここインドでも同じなのかもしれない。3階の窓から下の通りを見ると忙しく行き交うインド人達で溢れている。デリーの風景の一こまをぼくは記憶に残さなければならない。逃亡者としてインドを去るぼくは2度とデリーへ戻ることはできない。
1月、冬の逃亡、夜行列車と夜行バスの2晩は冷たい隙間風に震える。冬用の衣類が必要だ。日本へ帰るときあまり酷い服装ではまずいだろう、厚地のシャツや革ジャンそれに少し綺麗な中型バッグ等を買い揃えよう。カトマンズも寒いが日本の1月はもっと寒い。