憧れの女性はどんな人かと訊かれたら、私はのけぞるほどに胸を張ってこう答える。
「ジューン・アリソンの演じるような女性ですっ!」
しかし、果たしてジューン・アリソンと言って
彼女の顔が浮かぶ同世代はいるのかどうか。
私が彼女を慕い始めたのは、映画「若草物語」がきっかけである。
実写の「若草物語」といっても何本かあり、
キャサリン・ヘップバーン主演の1933年作品、ウィノナ・ライダー主演の1994年作品、
この2本が一番知られているらしいのだが、
私は、誰がなんと言おうとマービン・ルロイ監督のMGM創立25周年作品である
1949年制作の「若草物語」が一番だと勝手に思っている。
エリザベス・テイラーの“エイミー”、マーガレット・オブライエンの“ベス”、
ジャネット・リーの“メグ”、そしてジューン・アリソンの“ジョー”。
「クリストファー・コロンブス!」(おそらくOh my god!程の意味なんだろう)と
ハスキーな声で叫ぶジョーは、ドレスの裾をたくし上げて柵を飛び越え、
床に座り込んではスカートに暖炉の火を移して、
継ぎはぎだらけにしてしまってダンスもまともに踊れない。
しかし、ボーイフレンドからの愛の拒絶し、
家族と離れた生活、妹との別れを経験した彼女は、
大人の女性として、知的で自立した人間になっていく。
その姿が、幼い私にはどんな女性の成長よりも美しく見えた。
アリソン嬢のジョーは、見ていて屈託がない。
明るさと怒りと悲しみが、まっすぐに観ているこちらに向かってくる。
まるで私たちに向かって泣いたり喜んだりしてくれているように感じる。
なにより笑顔が素敵なのである。
(しかも10代の役なのに彼女はすでに30代、当時妊娠していたというから驚きである)
母と繰り返しビデオを見ながら、
この映画のジョーのようになれたら素敵だねと話し合った。
そして私は、ジョーのような男顔負けで、家族のためなら髪でもなんでも売りさばき、
創作意欲に燃えた知的な女性であろうと決意したのであーる。
もっとも、今実現している点は、ハスキーな声くらいだが…。
そんなことを熱く語りながらも、
実は私はジューン・アリソン嬢の他の出演作を見たことがなかった。
大人になって、急に思い出したように彼女のことが気になってしまい、
ジョーの中に見出していた理想の女性像が、
作品が変わっても存在するのか確かめて見たかった。
そして、その疑問にアリソン嬢はまたしても笑顔で答えてくれる。
『グレン・ミラー物語』と『甦る熱球』の中でも。
グレン・ミラーは言うまでもないが、トロンボーン奏者であり、
アレンジャーとしてバンドを率いたジャズ・ミュージシャンである。
彼がトロンボーンを質屋に入れながら貧しい生活をしているところから物語は始まる。
なんとか自分の才能を生かして新しい音楽を生み出したいと思い続けている
グレン(ジェームズ・スチュワート)は、
友人のチャミィの知らせで受けにいったオーディションで、
運良くベン・ポラックのバンドにアレンジャーとして採用されることになり、
バンドメンバーとして演奏旅行に出ることになった。
そしてデンバーに来たときに、彼は学生時代からの恋人に電話をかけ、彼女に会いに行く。
これがアリソン嬢演じるヘレンなんだけれど、
グレンは勝手に恋人と言ってはいるが、ヘレンに会うのは二年ぶりで、
彼女にはすでに婚約者もいる。
強引に自分の恋人と決め付けるグレンに、呆れ気味なヘレンだが、
それでも明るい人柄と音楽の夢に溢れている彼になんとなく惹かれてしまうのである。
ポラックのバンドを抜けて、しばらく編曲の勉強に時間をつぎ込んだグレンは、
またしてもトロンボーンを質にいれて生活費を捻出し、
寂しくなった懐で冬の街を歩いていると、ふと聞こえてきたのが「茶色の小瓶」。
へレンが唯一好きだと言っていた曲だ。
グレンは突然思い出したようにヘレンに電話をかけ、すぐにこっちにきて結婚しようと伝えた。
わけもわからず、しかし、彼女独特の「何か素敵なことが起こる」という
予感を感じながらニューヨークに駆けつけたヘレンは、
迎えにきた彼の求婚に承諾、グレンに連れられて小さな教会で式を挙げ、
初めて彼の愛するジャズの演奏を間近で聴くのだった。
よくヘレンはこんな急な申し出にOK出すなー、と思うけれど、
彼女の彼の才能を信じる確信がそうさせたんだろう。
編曲の勉強を再開するべきだとアドヴァイスを与えるのもヘレンだし、
資金をこっそり貯めて、楽団を作るために夫に渡したり、
妻となったヘレンの、グレンに対するサポートは現代の女性でも学ぶべきものがあると思う。
ただし、グレンほどの才能があればの話かもしれないけれど。
ジェームズ・スチュワートのグレンとアリソン嬢のヘレンは、
まさにこの二人を演じるにピッタリなキャストだ。
音楽への夢を決してあきらめず、献身的な妻への愛情を常に忘れないグレンと
自分の体を気遣う暇もなく夫の夢が叶うための支えとなるヘレンの姿は、
まさにアメリカの良心ともいえる二人。
キスシーンの美しさだけでうっとりしてしまえるほどだ。
この映画の素晴らしいところは、見事な伏線の張り方だ。
実際のエピソードとして残っているのかもしれないけれど、
前出の「茶色の小瓶」は最後まで感動させるキーワードになっているし、
「真珠の首飾り」「ペンシルヴェニア6-5000」というグレンの名曲は、
ヘレンとの思い出のエピソードから、絶妙なところで演奏される。
楽しいことを予感すると「首筋がゾクッとする」というヘレンの癖も、
各所で生きてきて、グレン自身の音楽家としての成功も示唆させる
うまい効果になっている。
それに加えて、なんといっても本編で流れてくる音楽が最高だ。
音楽に興味のない人間でも一度は耳にしたことがあるであろう
グレン・ミラーの名曲が次々と出てきて、二時間近い時間の中で飽きることがない。
これを見ることによって、今多くの場所で聴くことの出来る「茶色の小瓶」が、
彼のアレンジであるものだということを初めて知るのではないだろうか。
ルイ・アームストロング、ジーン・クルーパー、ベン・ポラックなどの音楽家たちが、
本人の役で出演しているのも嬉しい。
現代の映画界には、アメリカ映画の予定調和を嫌う傾向があるように思えるけれど、
この映画のように、鮮やかな物語の展開を持っていて、
誰を傷つけることもなく、家族と仲間の愛情を感じさせる美しい映画は、
どんな映画よりも希望を与え、映画らしいといえると私は思うのだ。
(次回に続く…)
「ジューン・アリソンの演じるような女性ですっ!」
しかし、果たしてジューン・アリソンと言って
彼女の顔が浮かぶ同世代はいるのかどうか。
私が彼女を慕い始めたのは、映画「若草物語」がきっかけである。
実写の「若草物語」といっても何本かあり、
キャサリン・ヘップバーン主演の1933年作品、ウィノナ・ライダー主演の1994年作品、
この2本が一番知られているらしいのだが、
私は、誰がなんと言おうとマービン・ルロイ監督のMGM創立25周年作品である
1949年制作の「若草物語」が一番だと勝手に思っている。
エリザベス・テイラーの“エイミー”、マーガレット・オブライエンの“ベス”、
ジャネット・リーの“メグ”、そしてジューン・アリソンの“ジョー”。
「クリストファー・コロンブス!」(おそらくOh my god!程の意味なんだろう)と
ハスキーな声で叫ぶジョーは、ドレスの裾をたくし上げて柵を飛び越え、
床に座り込んではスカートに暖炉の火を移して、
継ぎはぎだらけにしてしまってダンスもまともに踊れない。
しかし、ボーイフレンドからの愛の拒絶し、
家族と離れた生活、妹との別れを経験した彼女は、
大人の女性として、知的で自立した人間になっていく。
その姿が、幼い私にはどんな女性の成長よりも美しく見えた。
アリソン嬢のジョーは、見ていて屈託がない。
明るさと怒りと悲しみが、まっすぐに観ているこちらに向かってくる。
まるで私たちに向かって泣いたり喜んだりしてくれているように感じる。
なにより笑顔が素敵なのである。
(しかも10代の役なのに彼女はすでに30代、当時妊娠していたというから驚きである)
母と繰り返しビデオを見ながら、
この映画のジョーのようになれたら素敵だねと話し合った。
そして私は、ジョーのような男顔負けで、家族のためなら髪でもなんでも売りさばき、
創作意欲に燃えた知的な女性であろうと決意したのであーる。
もっとも、今実現している点は、ハスキーな声くらいだが…。
そんなことを熱く語りながらも、
実は私はジューン・アリソン嬢の他の出演作を見たことがなかった。
大人になって、急に思い出したように彼女のことが気になってしまい、
ジョーの中に見出していた理想の女性像が、
作品が変わっても存在するのか確かめて見たかった。
そして、その疑問にアリソン嬢はまたしても笑顔で答えてくれる。
『グレン・ミラー物語』と『甦る熱球』の中でも。
グレン・ミラーは言うまでもないが、トロンボーン奏者であり、
アレンジャーとしてバンドを率いたジャズ・ミュージシャンである。
彼がトロンボーンを質屋に入れながら貧しい生活をしているところから物語は始まる。
なんとか自分の才能を生かして新しい音楽を生み出したいと思い続けている
グレン(ジェームズ・スチュワート)は、
友人のチャミィの知らせで受けにいったオーディションで、
運良くベン・ポラックのバンドにアレンジャーとして採用されることになり、
バンドメンバーとして演奏旅行に出ることになった。
そしてデンバーに来たときに、彼は学生時代からの恋人に電話をかけ、彼女に会いに行く。
これがアリソン嬢演じるヘレンなんだけれど、
グレンは勝手に恋人と言ってはいるが、ヘレンに会うのは二年ぶりで、
彼女にはすでに婚約者もいる。
強引に自分の恋人と決め付けるグレンに、呆れ気味なヘレンだが、
それでも明るい人柄と音楽の夢に溢れている彼になんとなく惹かれてしまうのである。
ポラックのバンドを抜けて、しばらく編曲の勉強に時間をつぎ込んだグレンは、
またしてもトロンボーンを質にいれて生活費を捻出し、
寂しくなった懐で冬の街を歩いていると、ふと聞こえてきたのが「茶色の小瓶」。
へレンが唯一好きだと言っていた曲だ。
グレンは突然思い出したようにヘレンに電話をかけ、すぐにこっちにきて結婚しようと伝えた。
わけもわからず、しかし、彼女独特の「何か素敵なことが起こる」という
予感を感じながらニューヨークに駆けつけたヘレンは、
迎えにきた彼の求婚に承諾、グレンに連れられて小さな教会で式を挙げ、
初めて彼の愛するジャズの演奏を間近で聴くのだった。
よくヘレンはこんな急な申し出にOK出すなー、と思うけれど、
彼女の彼の才能を信じる確信がそうさせたんだろう。
編曲の勉強を再開するべきだとアドヴァイスを与えるのもヘレンだし、
資金をこっそり貯めて、楽団を作るために夫に渡したり、
妻となったヘレンの、グレンに対するサポートは現代の女性でも学ぶべきものがあると思う。
ただし、グレンほどの才能があればの話かもしれないけれど。
ジェームズ・スチュワートのグレンとアリソン嬢のヘレンは、
まさにこの二人を演じるにピッタリなキャストだ。
音楽への夢を決してあきらめず、献身的な妻への愛情を常に忘れないグレンと
自分の体を気遣う暇もなく夫の夢が叶うための支えとなるヘレンの姿は、
まさにアメリカの良心ともいえる二人。
キスシーンの美しさだけでうっとりしてしまえるほどだ。
この映画の素晴らしいところは、見事な伏線の張り方だ。
実際のエピソードとして残っているのかもしれないけれど、
前出の「茶色の小瓶」は最後まで感動させるキーワードになっているし、
「真珠の首飾り」「ペンシルヴェニア6-5000」というグレンの名曲は、
ヘレンとの思い出のエピソードから、絶妙なところで演奏される。
楽しいことを予感すると「首筋がゾクッとする」というヘレンの癖も、
各所で生きてきて、グレン自身の音楽家としての成功も示唆させる
うまい効果になっている。
それに加えて、なんといっても本編で流れてくる音楽が最高だ。
音楽に興味のない人間でも一度は耳にしたことがあるであろう
グレン・ミラーの名曲が次々と出てきて、二時間近い時間の中で飽きることがない。
これを見ることによって、今多くの場所で聴くことの出来る「茶色の小瓶」が、
彼のアレンジであるものだということを初めて知るのではないだろうか。
ルイ・アームストロング、ジーン・クルーパー、ベン・ポラックなどの音楽家たちが、
本人の役で出演しているのも嬉しい。
現代の映画界には、アメリカ映画の予定調和を嫌う傾向があるように思えるけれど、
この映画のように、鮮やかな物語の展開を持っていて、
誰を傷つけることもなく、家族と仲間の愛情を感じさせる美しい映画は、
どんな映画よりも希望を与え、映画らしいといえると私は思うのだ。
(次回に続く…)
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