少し前の話ですが、7月の平塚市美術館での、親子コラージュでのお話。
初めて参加の親子さんがいました。
小学校1年生の男の子と、そのお母さんです。
コラージュの説明をし、思い思いに作ってもらっていました。
この日は、珍しく参加者が少なかったので、おひとりおひとりと、ゆったりお話ししながら
楽しく進めておりました。
お母さん、雑誌類から好きな写真を選んで切るところは、たいへんノリノリで、テンポも良かったのです。
が、並べる、貼る、という段階で、たいそう苦しんでしまいました。
「うまくできない・・・」
「うまくできない」と、一言で言ってしまうと「あら、大丈夫ですよ、楽しくやれば。」で
終わってしまうんですが、実は、いろんな要素がからみあっての「うまくできない」なんですね。
このお母さんは、決して「人の目」を気にして、「素敵な作品」を作ろうとしていたのではないのです。
それで「うまくできない」とおっしゃっているのであれば、私も
「このコラージュのワークは、作っているプロセスを味わい、楽しむものですから
素敵な作品を作るのが目的ではないのですよ、だから、できばえなどは気にせず、自由に作ってくださいね。」
と言ったと思います。
実際、今まで、そのような助言をしたことはたくさんあります。
が、このお母さんの問題は違いました。
「自由にやろうとしても、自由にできない。」
これはかなり、的をついている感覚です。
真剣にやろうとしている人なら、大なり小なりぶちあたる感覚だと思う。
苦しんでおられましたね。
だから私も、隣で一緒に苦しみました。わかる感覚ですから。
そして、最後に、今まで切ったモチーフをがーっと真ん中にどんどん重ね張りして終わりました。
「こんなにも、自由になれない自分がいたんだってわかりました。」
それでいいのです。
すばらしいことを発見されましたね。
それでいいのです。
これが、コラージュのワークなのです。
初めて参加の親子さんがいました。
小学校1年生の男の子と、そのお母さんです。
コラージュの説明をし、思い思いに作ってもらっていました。
この日は、珍しく参加者が少なかったので、おひとりおひとりと、ゆったりお話ししながら
楽しく進めておりました。
お母さん、雑誌類から好きな写真を選んで切るところは、たいへんノリノリで、テンポも良かったのです。
が、並べる、貼る、という段階で、たいそう苦しんでしまいました。
「うまくできない・・・」
「うまくできない」と、一言で言ってしまうと「あら、大丈夫ですよ、楽しくやれば。」で
終わってしまうんですが、実は、いろんな要素がからみあっての「うまくできない」なんですね。
このお母さんは、決して「人の目」を気にして、「素敵な作品」を作ろうとしていたのではないのです。
それで「うまくできない」とおっしゃっているのであれば、私も
「このコラージュのワークは、作っているプロセスを味わい、楽しむものですから
素敵な作品を作るのが目的ではないのですよ、だから、できばえなどは気にせず、自由に作ってくださいね。」
と言ったと思います。
実際、今まで、そのような助言をしたことはたくさんあります。
が、このお母さんの問題は違いました。
「自由にやろうとしても、自由にできない。」
これはかなり、的をついている感覚です。
真剣にやろうとしている人なら、大なり小なりぶちあたる感覚だと思う。
苦しんでおられましたね。
だから私も、隣で一緒に苦しみました。わかる感覚ですから。
そして、最後に、今まで切ったモチーフをがーっと真ん中にどんどん重ね張りして終わりました。
「こんなにも、自由になれない自分がいたんだってわかりました。」
それでいいのです。
すばらしいことを発見されましたね。
それでいいのです。
これが、コラージュのワークなのです。