アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

高山村のしだれ桜

2014-04-30 19:14:25 | 
さて二日目、雨もあがり、高山村という村にしだれ桜を見に行きました。

バスは入れないような場所なので、途中からタクシー相乗りで行くの。
村のおばちゃんが、案内人になってくださって。

しだれ桜というのは、ソメイヨシノより遅く咲くのでしょうか?
それとも、標高の高い山奥の村だから咲くのが遅いのでしょうか?

画像の桜は、運良く、満開に近いものに巡り会えて映したものです。

残念ながら、つぼみの状態の桜が多かったのですが、それでも樹齢200年くらいの桜ばかりで
こういう大きなしだれ桜が、村の其処此処に、まるで村を護っているみたいに立っているのは
見事な光景でした。

桜は(この場合の桜は、山桜とか、ここのしだれ桜のような原生種だと思いますが)
山の神様が、春になって里に下りてこられる時の、よりしろになるのだと聞いたことがあります。

桜が満開になるのは、神様が里に下りてこられた印というか合図なのです。

お花見をして、桜の木の下で楽しく飲み食いするのは、神様をお迎えして、一緒に楽しく
過ごすためなのだそうです、本来は。

どのしだれ桜を見ても立派で、いかにも神様のよりしろという感じ。

老木を保護するために、真下には行かれませんが、もし真下に行ってたたずんだなら、
巨大な桜の木に抱きすくめられて、桜の木の中に入ってしまうような、なにか空恐ろしい感じさえ
してしまう・・・。

昔の日本人は、そういう力をきっと感じていたと思います。

桜の下でお花見の宴会をして、桜の精気、命の力を分けて頂くのです、と案内人のおばちゃんが
説明してくれました。

きっと昔の人たちは、美しい花を愛でるのと同じくらい、なにかしらの畏れを感じて、
うやうやしくその力を分けていただく思いで、桜の木の下に立ったり座ったりしたんじゃないかと思います。

自然を愛でながらも、同じくらい畏れかしこまる心を失わず大切にする・・・
そういう大和民族の心、忘れちゃいけないよね、今こそ。今こそ。