11月25日
三重県伊賀市の市街地中心部にある上野公園にやって来ました。
紅葉の季節だから、さぞかし観光客が多いと思いきや、周辺の駐車場はまだかなりの空きがあって肩透かし。。
上野公園には伊賀上野城のほか、伊賀流忍者博物館など、伊賀の歴史に触れることができる施設が点在しています。
まずは、伊賀上野城天守閣へ向かいましょう
伊賀は生活圏なので、城の姿はしょっちゅう目にしてますが、本丸へ行くのは6年ぶり。
伊賀上野城本丸
近世城郭としての伊賀上野城が築かれたのは天正13年(1585年)。豊臣方の筒井定次が東国の徳川に睨みを効かすために築城しました。
筒井家が改易になり、大阪冬の陣の6年前にあたる慶長13年(1608年)に徳川家康の命により宇和島城主であり、築城の名手としても名高い藤堂高虎が伊賀の国に入りました。
藤堂高虎が今度は大坂の豊臣方との決戦に備えるための最前線の城として上野城を大改修しました。
天守閣は石垣の改修作業中。。。
しかし、天守閣は4年後の1612年に暴風雨であっけなく倒壊してしまいました。
豊臣家の滅亡後も引き続き藤堂家が代々城主を務めましたが、天守閣が再建されることはありませんでした。
木造三層の大天守と二層の小天守からなる複合天守(通称 白鳳城)。
こじんまりとした城ながら美しい佇まいですね
現在の(模擬)天守閣は当地選出の代議士、川崎克氏が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて建設し、昭和10年(1935年)に完成しました。
根石より天端まで29.7mの高さを誇る石垣。一段の石垣としては大阪城に次ぐ二番目の高さです。
上から見るとめっちゃ怖い
伊賀盆地を囲む山々も紅葉真っ盛りですね
城代屋敷跡
大坂の陣は徳川方の勝利に終わり、堅固な城の必要性が無くなってしまったため、天守閣は再建されなかった伊賀上野城。本丸、二の丸には城代屋敷のみがあったそうです。
藤堂高虎は大坂の陣が終わった後、津城を本城とし、伊賀上野城は支城となりました。
つづく
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