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お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

2022 お気楽行楽記総集編(16)

2022年12月23日 16時00分00秒 | 行楽・旅行記4

10月

JR京都駅前(京都市下京区)

大阪から帰る途中、京都駅で途中下車しました。

1時間半ほど時間があるので、駅から歩ける範囲でブラブラしてみました

京都タワーホテル前の塩小路通を西に向かうと、京都抹茶で有名な辻利さんのカフェがありますね。

本願寺伝道院(京都市下京区)

面通と油小路通が交わる場所にあるこの建物は本願寺伝道院。

明治45年に生命保険会社社屋として建てられました。

インド風のドーム、イギリス風の煉瓦壁、日本建築のような破風が取り入れられた何とも独特な建築様式でした。

何でこんな洋風な建物が本願寺の伝道院なの?って思いましたが、今は僧侶の研修や本願寺の研究施設として使われてるそうです。

浄土真宗本願寺派本山 龍谷山 本願寺(西本願寺)(京都市下京区)

浄土真宗本願寺派本山 龍谷山 本願寺(西本願寺)にやってきました。

本願寺は文永7年(1272年)、浄土真宗 親鸞の廟堂として京都東山の地に創建されたのを始まりとします。その後、場所は転々とし、今の場所には天正19年(1591年)に豊臣秀吉の寄進で大阪から移転しました。

御影堂門(国の重要文化財)を通って境内へ。

関ケ原の戦い以後、本願寺は准如を十二世宗主とする本願寺派と教如を十二代宗主とする真宗大谷派に分裂しました。

慶長8年(1603年)に真宗大谷派の東本願寺が開かれ、准如が継承した七条堀川のこの本願寺は西本願寺と通称されるようになりました。

寛永13年(1636年)に建立された国宝の御影堂(ごえいどう)。

東西48m、南北62m、高さ29mの巨大な建物で、中央に宗祖 親鸞聖人の木像、両脇に本願寺歴代宗主の影像が安置されてます。

浄土真宗興正派本山 円頓山 興正寺(京都市下京区)

西本願寺の南隣にある興正寺も立ち寄ってみました。

興正寺(こうしょうじ)は配流されていた親鸞が京都の地に戻り、建暦2年(1212年)に山科の地に一宇を草創したことに始まります。

室町時代、興正寺(当時は佛光寺)の蓮教上人は本願寺の蓮如上人と歩みを共にし、本願寺と歩調を合わせて度重なる移転にも常に行動を同じくしていました。

本願寺が今の地に移ってからは隣接地にお堂を建て、江戸時代を通じて興正寺は西本願寺の末寺という立場でしたが、明治9年(1876年)に浄土真宗興正派として独立を果たしました。

元々あった本堂は日光東照宮の本廟や知恩院の三門と並んで日本三建築の一つと言われた「一つ御堂」と呼ばれる壮大華麗な建築物だったそうです。

しかし、明治35年(1902年)に不慮の火災で本堂をはじめ多くの堂宇が灰燼に帰してしまいました

できればその一つ御堂というかつての本堂を見たかったですね。

氏郷まつり楽市楽座(滋賀県蒲生郡日野町)

3年ぶりに開催された滋賀県日野町の氏郷まつり楽市楽座に妻と行って来ました。

息子が小さかった頃は各地の秋祭りやイベントをよく巡ったものでした。

露店の数やお客さんの数は例年に比べると少な目でしたが、コロナ禍前に戻ったみたいでワクワクしちゃいますね

蒲生氏郷(がもううじさと)はここ日野出身の武将ですが、秀吉の元で伊勢松坂城主になったことから、三重県松阪市でも同じく「氏郷まつり」という名前のイベントがあるそうです。

この燕尾型兜の氏郷のイラスト格好イイなぁ。マントのLEON(レオン)はキリシタン大名だった氏郷の洗礼名ですね。

冬野菜の植え付け

今年はカメムシやイナゴの多い年でした。

カメムシが多い年の冬は雪が多くなるなんて言われてますが・・・。

皆様、クリスマス寒波ご注意下さい。

つづく

過去記事<2022 お気楽行楽記総集編(15)

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