11月24日
新選組の屯所だった壬生の八木邸を見学してから、マネージャースキルの試験会場に向かいます。
四条大宮の阪急京都線 大宮駅前に出ました。
道端にあった井戸のポンプを使ったフラワーアート。
四条から堀川通りに出て、北へ進みます
この日は寒い日でしたが、朝から歩きまくっているので、額にうっすらと汗が滲んできます。
試験会場で、「こいつ、熱があるんじゃないか?」と思われたら嫌だな(爆)
再び、二条城のある堀川御池の交差点にやって来ました。
『試験終わったら二条城行ってみようかな~。平日だから空いてるかな?』なんてことを考えつつ、御池通りを右に折れてさらに1.2km歩き、試験会場の烏丸御池へ・・・
ただいま受験中
しばらくお待ちを!
京都国際マンガミュージアム
50半ばになって今更マネージャースキルもクソもないと思うけど、一介のサラリーマンが会社の命令に逆らえる訳もなく・・・
技術系のマネージャーなので、金融知識を問う問題なんてチンプンカンプンでした
まぁ、いっか
マンガミュージアムのカフェでコーヒーでも飲もうかと思っていたのですが、休館日でした。。
因みに写真は館内にある大きな火の鳥のオブジェです。
過去記事<京都国際マンガミュージアム(2017年)>
ゼルダの伝説のイラストなどを手掛ける姫川明氏の原画展をしてるみたいですね。
マンガミュージアムの裏手の通りには「徳川時代銀座遺址」、「徳川時代金座遺址」の碑がありました。
江戸幕府の銀貨、金貨の鋳造所のあった場所です。
押小路通りを二条城に向かって西に歩くと豊臣秀吉妙顕寺城跡がありました。
鎌倉時代後期にできた日蓮宗寺院で、戦国時代には豊臣秀吉が天正11年(1583年)に寺を移転させ、ここに天主を持った二条邸を建て、聚楽第が出来るまで京都における本拠地にしていたそうです。
二条城の櫓が見えてきました。
橋本左内寓居跡
橋本左内は福井藩士で緒方洪庵に師事し、幕末における思想家、志士として活躍しましたが、14代将軍後継問題では福井藩主の松平春嶽を助けて一橋慶喜を推しましたが破れ、家茂を推していた大老 井伊直弼の逆鱗に触れ、安政の大獄で斬首となりました。
幕末維新史の重要な人物の史跡に出会えてテンションも上がったところで、二条城に行ってみます!
つづく
過去記事<京都写ん歩 壬生屯所旧跡 八木家>
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