天平16年(744年)、左大臣 橘諸兄により難波宮を都にするという聖武天皇の勅命が宣言されました。
実物大に再現された難波宮の大極殿(正殿)での遷都の祭礼の様子です。
直径70cmの朱色の柱の間に設置されたモニターには当時の祭礼の様子を再現した映像が写し出されてます。
映像が終わったから、通り過ぎようとしたら・・・
突然、壁がせり上がって外の景色が見えるようになってビックリ
まさかこんな仕掛けがあるとはね~。
周囲にお客さんが居なかったから、思わず「おぉー、すげぇ!」って叫んじゃいました(笑)
その窓からは近くの難波宮跡地公園が見えました。なかなか心憎い演出ですね~
写真中央にある四角い構造物はかつての難波宮大極殿の遺構です。
大阪市中央区大手前にある大阪歴史博物館に行ってきました。
消毒薬で手指消毒して、検温をしてもらってからの入場です
観覧時は他のお客さんと2m以上の距離をとるようにとあちこちに書かれてました。まぁ、平日だったからそんなにお客さんもいませんでしたが。。
エレベーターで一気に10階まで上がるとそこは『古代の大阪』の歴史を伝えるエリアになってます。
ここでは古墳などからの出土品や奈良時代の難波宮に関する資料が展示されてました。
弥生式土器とセタシジミの化石。
大阪平野区の古墳で出土した家型埴輪の屋根部分。
前期難波宮の模型。
1954年から発掘が始まった難波宮では前後2時期の宮殿跡が見つかったそうで、古いものは7世紀の前期難波宮、新しい方は8世紀の後期難波宮と呼ばれます。
こちらは後期難波宮の模型。
出土品などを元に再現された難波宮の建物の屋根瓦の模型です。
難波宮があった当時の人々の生活に関連した出土品ではこの馬の頭骨がインパクトありました
7世紀後半、難波宮の東側の森之宮遺跡で出土した馬の頭骨で、人の手によって削られた跡があり、皮なめしのために馬の脳を取り出した跡と考えられているそうです。
4年ほど前には難波宮跡地公園にも行ってます。
発掘の結果、大極殿があった場所には建物の土台や柱の礎石が再現されてます。
つづく
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