2月4日に訪れた滋賀県湖南市の三雲城址
南北朝時代に近江守護の六角氏の要請で三雲氏が築いた山城でしたが、元亀元年(1570年)に織田信長の近江侵攻によって落城しました。
写真は主郭跡にあった深さ6mの古井戸です。
土塁跡
信長に攻められた六角氏が没落後、三雲城主だった三雲成持は織田信雄と蒲生氏郷に仕え、江戸時代に入ると壱千石の旗本として徳川幕府に仕え、幕末まで家名を存続できました。
登山道を降りたところにあった案内所
猿飛佐助の顔出しパネルがありますね~。
猿飛佐助は講談などに登場した忍者で、明治から大正に刊行された立川文庫本では、真田十勇士の一人として活躍する様が描かれました。もちろん架空の人物ですが、そのモデルとなった人物は何人かいるようですね。
司馬遼太郎氏は小説『風神の門』の中で、三雲佐助賢春が猿飛佐助ではないかという説を紹介してるそうです。
三雲佐助賢春は三雲新左エ門賢持の息子で、三雲成持の甥にあたり、1719年頃の『厭蝕太平楽記』に、真田幸村(信繁)が紀州九度山に流された際、お伴として加わった家臣にこの名前が登場するということです。
佐助(幼少)缶バッジ(笑)
小説はフィクションですが、湖南市では猿飛佐助のモデルが三雲佐助賢春であるとして、猿飛佐助を町おこしのキャラクターとして採用しています。
合格祈願の八丈岩のお守りを買ったら、猿飛佐助の御朱印風のシートをくれました
過去記事<絶対落ちない岩>
あっ!!三雲城に向かう前には覚えていたのに、炭治郎の岩を見てくるの忘れた
おしまい
過去記事<三雲城址探訪(1)>
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