4年ぶりに南禅寺(臨済宗南禅寺派大本山 瑞龍山太平興国南禅禅寺)にやって来ました。
今から710年あまり昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創された古刹で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもっています。
現在の三門は寛永5年(1628年)に戦国武将の藤堂高虎が寄進し、再建しました。
歌舞伎『楼門五三桐』で石川五右衛門が「絶景かな!絶景かな!」という名セリフを廻したのがこの三門ですが、五右衛門が居た桃山時代当時、三門は火災で焼失していてありませんでした。
法堂
創建当時のものは応仁、文明の乱で焼失、再建されたものも明治26年に焼失、今の法堂は明治42年に再び建てられたものになります。
境内は人通りも少なかったけど、水路閣周辺には観光客が結構いました。
全長93メートルの煉瓦・花崗岩造りのアーチ型水路橋である水路閣は1888年(明治21年)に完成した琵琶湖疏水の一部で、130年経った今も水を流し続けています。
幕末の蛤御門の変で多くが焼け、明治維新後も荒廃が続いた京都にあって、琵琶湖疏水の建設は目玉となった事業で、琵琶湖大津から京都市中へ水を引き、灌漑、上水道、水運、発電に利用するという一大プロジェクトでした。
蹴上(けあげ)インクライン
落差の大きい蹴上船溜まりと南禅寺船溜まりの間の水路は船での運行ができないので、その間640メートル部分は台車に船を載せて線路上を行き来させるインクラインで運行してました。
今もインクラインの一部が保存されていて、格好の撮影スポットになってます。
この日も着物姿の女性たちが撮影してました。春には桜のスポットとしても人気があります。
これが船を乗せた台車。
インクラインの下を通る歩行者用のトンネル
トンネル内の煉瓦はねじれたように斜めに積み上げられていて、俗に「ねじりまんぽ」と呼ばれてます。
上のインクラインを重量のある台車に積まれた船が通行するから、その重さに耐えるための構造ですね。
「ねじり」はもちろん捻じれていること、「まんぽ」は鉄道の下を通るトンネルや坑道の意味だそうです。
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雪が降ったり止んだりする中、およそ3時間半かけて12kmの距離を歩き、11の社寺や京都御苑を巡ってきました
夕方から用事があったから、今回の京都写ん歩はこれにて終了。
季節が良くなったら今度は京都のどこを写ん歩しようかな
おしまい
過去記事<京都写ん歩 冬の永観堂(2)>
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