お気楽忍者のブログ 弐の巻

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初夏の陽気 大阪城散歩(2)

2021年04月22日 12時00分00秒 | 行楽・旅行記4

大阪城北側にある青屋門

創建は徳川による大阪城再建時の1620年頃と考えらえてます。明治の大火や昭和20年の大阪空襲で損壊しましたが、昭和44年に大阪市が残材を使って再建しました。

過去記事<初夏の陽気 大阪城散歩(1)

大阪城梅林の入口

このブログで何度も登場してますが、管理人が一番好きな極楽橋から眺めた大阪城天守閣の構図

山里丸から本丸に至る途中にある刻印石広場。

山里丸は大阪夏の陣の時、豊臣秀頼、淀君が自害した場所で、ここで豊臣家は滅亡しました。

さて、大阪城の建設は諸大名が分担して行っていて、刻印石広場には大阪城の石垣などに使われた石材で刻印が施されたものが並んでます。

この刻印は丹波国柏原藩 2代藩主 織田信則(刑部大輔)。

こちらは加賀藩 前田家の家臣の刻印だそうです。

およそ400年前に刻まれたものを見ることができるのって結構凄いことですね。

隠し曲輪

大阪城本丸に唯一ある曲輪で、御覧のように入口を狭く作ってあって、ここに兵を隠すことができたそうです。

この曲輪の石垣には伊予国 大洲藩 加藤家の刻印がありました。

朝陽に照らされた天守閣

まだ、朝の8時くらいだというのに既に暑くて汗ばんできます。この日は夏日の予報が出てましたから

普段は行かない天守閣の北東側に何気なく行ってみると、石垣がズレてる部分がありました。

東側は石垣が乱れたところがあって、隙間をコンクリ?で補修してますね。

実はこれ、昭和20年の大阪空襲で天守閣の北側数メートルのところに落ちた米軍の爆弾の爆発で被害を受けた跡だそうです。

昭和20年、大阪は数度の空襲に見舞われ、市民およそ10,000人が犠牲になりました。

大阪城周辺は当時陸軍が接収していて、戦争の歴史、傷跡、復興を感じることができる場所でもあります。

つづく

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