大阪歴史博物館の9階は『大阪本願寺の時代・天下の台所の時代』と題して、中世から近世の大阪の様子、文化に関する展示がされていました。
過去記事<大大阪(だいおおさか)の時代>
戦国時代、織田信長と対立した大阪石山本願寺の御影堂の模型です。
石山本願寺は天文2年(1533年)に成立し、信長に降伏する天正8年(1580年)まで存続した浄土真宗の本山寺院で、その跡地には豊臣秀吉によって大阪城が造られました。
大阪城天守閣が建つ本丸跡の地下には本願寺時代に築かれた石垣が残っていることも発掘調査で分かってます。
大阪城の北西にある追手門学院小学校で出土した遺物。
ここでは天正8年の本願寺降伏の際、火災にあったとみられる礎石建物遺構や中国製の椀や花瓶などの生活道具も発掘されてます。
戦国時代末期の大阪の陣で荒廃した大阪は徳川の治世になって復興され、掘割が張り巡らされたことで水運が発達し、諸藩の蔵屋敷や米市場、商家が立ち並ぶ天下の台所となりました。
中世の大阪の街並み。
立版古(たてばんこ:江戸時代に流行った錦絵を切って組立てる立体錦絵)を使って大阪の各所の賑わいが再現されている浪速まちめぐり。
現大阪北区にあった広島藩大阪蔵屋敷の復元模型
その広島藩蔵屋敷跡から出土した食器類(18-19世紀)。
もうこの時代までくると現代の陶磁器類と雰囲気はほとんど一緒ですね。
つづく
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