山田均著「タイ 自由と情熱の仏教徒たち」(平成9年 三修社刊)を、最後まで読まずに放棄した。生まれて初めての経験だ。
まずもって、山田氏は、題名の付け方を間違えた。いかにも初心者向けの本で、タイの僧侶や人々の暮らしなどが、生き生き描かれていると、誰もがそう思う表題だ。
ところが最初の30ページ余りは、タイの言語についての詳述である。タイ語の音韻構造や、単音節の純タイ語と外来語、子音文字と母音記号になどについて、タイ語に明るい者にだけか分る内容で、詳しく丁寧に書かれている。
次はタイ史である。タイ人とは、どこから来た民族なのか、あるいは土着の民なのか、ミャンマー、インド、中国など、調べるほどに分からないのだと、氏は言う。おそらく氏は、真面目な学究の徒であるに違いない。仲間同士の話なら、良心的で誠実な事柄ばかりで、きっと正しく通じ合うのだろう。
それならそれで、本の題名も注釈も、素人に誤解されない工夫があって、いいはずだった。
さてその次は、タイ仏教の核心「教団」についてだ。教団への入門と、教団内での掟につき、微に入り細に入り、入団したい志願者でもない私に、懇切丁寧な説明が続く。
タイを広く知りたいと望む一般人にとっては、どこまで読んでも、訳の分からない書物でしかない。
いつか平易な話になると期待し、半分まで読んだが、同じ調子で叙述が進む。
タイ王宮の建設という段になると、もうお手上げだ。王宮内の王様の執務の場、くつろぎの場、寝室の場が、それぞれ別れて建っているという話。砦が幾つあり、門が幾つあるとか、高さがどうで、長さがどうなど、知ったことかと、私は次第に癇癪がおきてきた。
固有名詞の地名、人名、場所名が、説明無しに現れ、地図も無く、関連図も無いでは、門外漢にはチンプンカンプンだ。
私の忍耐はここで切れた。再び言うが、最後まで読まず放棄するという、生まれて初めての経験である。何度でも言うけれど、タイ研究者にとっては、きっと優れた本なのだろうし、貴重な本に違いない。だが、私には、まるで関係のない本だ。
氏には何の恨みも無く、誠に申し訳ないが、今度の有価物回収の日に、ゴミとして出すしかない。ブログを訪問した方は、「豚に真珠」だったと、惜しまれることだろう。