ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

21年前の本

2014-11-01 12:21:40 | 徒然の記

 久しぶりにブログを書く。もう、11月なのだ。小雨の降る肌寒い日。そこで、一句できた。

 わが庭の 小さな秋を
    濡らす雨

 下手な句なのだろうが、自己満足している。
家内と二人でゆっくり、ゆっくりとラジオ体操をした。雨の庭を眺め、いつもの日常が戻って来た喜びをかみしめた。急ぐことはなにもない。いつもどおり金はないが、時間がたっぷりとある。これがいい、これが一番いい。

 健康であること、粗食でも楽しく食べられること。自分のことが自分でやれること。みんなあたり前のことばかりだが、不自由の後の自由自在は格別の思いがある。

 そして、ちょうど一冊を読み終えた。長谷川慶太郎・中嶋嶺雄氏共著『解体する中国』(平成5年刊 東洋経済新報社)だ。最近の出版かと興味を抱いて手にしたが、なんと21年前の本だった。そんな以前から中国は、解体とか、崩壊とか、期待を込めて本にされていたのかと今更ながら感慨深い。

 香港の返還まで4年数ヶ月、鄧小平がそれまで生きているだろうかと、そう言う頃の本だった。

 「社会主義市場経済論」などという理屈は、誰にも理解できない矛盾論で、早晩中国はソ連のように崩壊すると断定している。暫くは低賃金で経済が活性化しても、計画性も無ければ、人権もない独裁体制は長続きするはずがない。21世紀を待たずして中国から共産主義が消えていくと、読むだけで楽しくなる予想だが、おっとどっこい、その中国は厚かましくもまだ存在している。

 中国は国でなく、人間の集合体で、解放軍の銃と公安の力で統一が保たれているに過ぎないと、著者たちが述べているが、そこが問題なのだ。
弾圧と強制と拷問の政府は人権などどこ吹く風と、なりふり構わぬ乱暴狼藉を続けている。内政に干渉するなと世界に向かって放言しつつ、日本には軍国主義復活とか右傾化だとか、この頃から言いたい放題をしていたのだ。

 満州事変以来15年間、確かに日本は侵略したが、いつまでも自国の貧しさをそのせいにする中国は間違っていると、長谷川氏か中嶋氏なのか分からないが、私はその意見に賛成する。台湾も日本も大戦後の貧しさから同時に出発し、努力で経済発展をしたのに、貧困から抜け出せなかったのは中国自身に原因がある。文化大革命などと権力闘争に明け暮れた毛沢東の失政が、どれたけ大きな犠牲と破壊をもたらしたかと、目から鱗の思いがする主張だ。

 「友好一辺倒を脱却せよ」と、著者たちが警告している。
それなのに外務省にも経済界にも評論家たちにも、いまだもって脱却していない人間が多い。脱却どころか、朝日新聞を筆頭に親中路線をひた走りし、日本すら捨てかねない愚人がいる。

 自分の国を大切にする気持ちが、どこにもないのだろうか。どうしてこんな人間がいるのか、不思議でならない・・と、この感慨もまた以前と同じ。こうして戻って来た、懐かしい日常だ。
 

コメント (2)
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