本日は、びっくりする事実が、最初の記事から見つかりましたので楽しみにしていてくださいと予告した、本題に戻ります。
言葉の使い方を、幾つになっても間違えます。特攻隊で散華した学徒の話で、「楽しみ」なもののあるはずがありません。もしかするとびっくりする事実も、「ねこ庭」がそう思うだけなのかも知れません。
共同通信社が登志江さんの顔写真まで掲載して、紙面の4分の1を占める大きな記事を書いているので、真っ先に浮かんだのが、
・上原登志江さんという人はどんな人なのだろう、という疑問でした
ネットで検索しますと、令和6年12月16日 「特攻で戦死の兄忘れられず、上原登志江さん」、と千葉日報新聞に似たような見出しの記事が、似たような時期に、他社も報道しているのを見つけました。
「ねこ庭」は似た記事の洪水に驚いたのですが、果たして訪問された方々が驚かれるのかどうか、見つけた順番に紹介します。
毎日新聞 令和5年10月21日
・「学徒出陣から80年 戦死した上原家3兄弟の真実 次女の証言」
・ 学徒出陣し、「特攻」で戦死した上原良司さんの妹、くつろぐ良司さんと登志江さん ( 1938年ごろ撮影 )
・ 特攻出撃前の良司さん(左端 ) ( 登志江さん提供 )
東京新聞デジタル 令和6年 5月11日
・「最後の輝き <一枚のものがたり> 上原良司 」
・上原は、大正11年9月長野県七貴 ( ななき ) 村で医師の三男に生まれ、今の安曇野 ( あづみの ) 市で育った。
・慶應の予科から43年10月に経済学部に進んだが・・・
yahoo ニュース 令和6年 8月15日
・「死んでも靖国に行かない」 「特攻兵の兄が遺した言葉 妹に 」
・学徒出陣し、「特攻」で戦死した上原良司さんの妹、上原家の3兄弟
・右から良春さん、良司さん(左)と龍男さん ( 登志江さん提供 )
日本共産党 平成22年 5月17日
・ 「きょうの潮流 」上原良司の故郷、長野県安曇野の風景です。
・ カメラマンの安島太佳由さんが 、 なにげなく顔を合わせた末の妹・登志江さんに「死んでも靖国へは行かないよ」
・「死んでも靖国には行かない」「特攻死した22歳の青年が妹に 」
・「死んでも靖国には行かない」「特攻死した22歳の青年が妹 へ」
・ 特攻戦死した上原良司が出撃前夜に記した遺書「所感」
・ 見習士官時代の上原良司、1944年7月ごろ
新潟日報デジタルプラス 令和6年12月3日
・「死んでも靖国には行かない」「特攻死した22歳の青年が妹に 」
・ 特攻戦死した上原良司が出撃前夜に記した遺書「所感」
・ 見習士官時代の上原良司、1944年7月ごろ、 特攻戦死した良司の記憶を語る妹の登志江さん
京都新聞 令和6年10月24日
・「 特攻初作戦80年、兄忘れられず 94歳妹」
・上原良司は、敗戦を予見し、自身を「自由主義者」と称した遺書を残したことで知られる。
・「特攻は死刑みたいなもの」 そう語る伊萌と登志江さん( 94 )
佐賀新聞 令和6年10月24日
・「 特攻初作戦80年、兄忘れられず 94歳妹」
・登志江さん(94)( 千葉県松戸市 ) は、帰省した兄が家族に「さようなら」と3回叫んだ大声が忘れられない。
・上原は長野県安曇野市(旧有明村)で ・・・
探せばまだありそうですが、スペースをオーバーしたのでこの辺りでやめます。似たというより、同じ記事も何件かあります。「ねこ庭」の発見と意見については、次回に報告いたします。