安達巌氏著「出雲大神と日本建国」(平成6年刊 新泉社)読了。
同じ出雲王国を扱いながら、先に読んだ山崎氏の著書と、肝心な所で違う内容となっている。どちらが正しいかは不明だが、分かることが一つだけあった。「古代史は今も謎のままであり、研究者の解釈次第でどうにでも変化する状況にある。」簡単に言えば、こういう結論だ。
だからもう、大抵の話を聞かされても驚きはしない。山崎氏は大和朝廷による大国主の命の処刑と、出雲大社への押し込めを詳しく語ったが、安達氏はそこに一言も触れず、大和朝廷は出雲王朝との連合政権だという。山崎氏が控えめに「出雲王国」と表現したのに対し、安達氏は堂々と「出雲王朝」と呼称している。
さらに安達氏は一歩踏み込み、大和朝廷も出雲王朝も、日本へ来た渡来人であると主張する。いずれも韓国に住む少数民族の倭人であったと結論づけ、古事記も日本書紀もそのような立場から解読する。山崎氏の本を読んでいなければ、そのまま氏の意見を信じたに違いないが、同じ古代を扱ってもこんなに異なる二人を目の当たりにすると、立ち止まって考えたくなる。
安達氏は明治39年に島根県に生まれ、旧制中学を中退し、大阪から東京へと移り住み、農民運動、社会運動に関わっている。敗戦後に製パン業を始め、あけぼのパンの常務、中村屋の顧問、業界団体幹部をへて著述業へ進む。ネットの情報ではここまでしか分からないが、氏もまた山崎氏と同様、専門の学者でなく、市井の好事家でしかない。とは言いながら、古代史に関する探究心は私などの及ぶ所でなく、敬服すべき博学である。
氏は本の中で朴炳植(パク・ビョンシク)氏の意見を何度も紹介し、日本人が韓国から渡来した民族という説明の根拠にする。朴炳植氏は、昭和5年に今の北朝鮮に生まれ、高麗大学卒業後にアメリカへ渡っている。これもまた、ネットの情報だが、韓国の言語学者として有名になった氏は、日朝両語の「音韻変化の法則」を創始し、日本書紀の中で不明とされていた歌謡を解明したと発表した。
ところが彼女の説は日本の専門家から徹底的に批判され、認められなかったという。東洲斎写楽は朝鮮人だったと言い、ひんしゅくを買ったのも彼女らしい。こうなるとど素人である私は、眉に唾してしか本が読めなくなる。
日本人の祖先が朝鮮在住の、倭人と呼ばれる小数民族だったと言われると、やはりいい気持ちはしない。まして、天孫降臨の神話で体系づけられた大和朝廷を定説とする日本の歴史学界で、氏の意見が無視されたのは無理もない話だ。学問の話と感情論は別なので、古代史の謎は、今後も追求されるべきと私は考える。
しかし学者でない私は、感情論でものを言う。農民運動や社会運動をやっていたというのだから、氏は左翼の活動家の一人だ。左翼の人間にとって、天皇制は目の上のたんこぶでしかない。天皇に関わる史実を、平気で貶められるのは氏の信奉する左翼思想からきているに違いないと、私は考えてしまう。
「広辞苑の津田左右吉の項をみると、歴史学者。岐阜県の生まれ。早大教授(総長)。」「厳密な古典批判により、科学的な日本・東洋の古代史、思想史研究を開拓とある。」「これはいかにももっともらしい賛辞であるが、」「この人が戦後、自分は天皇制肯定論者だと高らかに宣言して、」「早大総長に就任したいきさつなどからみても、」「科学的史学者として手放しで評価するわけにはいかない。」
こうして氏もまた、私に劣らない感情論を展開している。「神無月」と「神在月(じんざい)」についても、独特の意見だ。
「それは日本列島を管轄する、葦原の中つ国と、この宗主国たる豊の国の代表者たちが、」「毎年定期的に出雲国で会堂して、その時々のアジア情勢や、」「日韓間の戦略的な重要問題を徹底的に話し合い、なすべき方向づけをしていたということである。」
「日本の戦前の史学者もマルクス主義者たちも、このことにあまり触れたがらない。」「彼らがこんな不見識を敢えてしたのは、」「百済の傀儡だった大和朝廷が成立する以前に、そのライバルだった新羅系の神々が、」「先着の神々と意気投合していたことを、なるべく口にしないほうが、」「身すぎ世すぎのため好都合だったからであろう。」
「そもそも出雲大社なるものは、古事記によると、第11代の垂仁天皇が、その皇子の難病平癒のお礼として寄進したとある。」「従って神在月に神々が集ったのは、神社など存在しない神代のことであるのは明白であるのに、」「八百万の神々が出雲大社に集まるという説明は、まったくの笑い話という以外ない。」
そして氏は、朴炳植氏が著書の中で綴っている言葉を紹介する。
『高天ヶ原なる土地がどこを指すのか、ご存知の方が、本書の読者の中におられるだろうか。」「日本の神話では、天孫が雲を踏み分けて天上から降下したことになっているが、これは現実性のある話ではない。」「実はタカマとは、慶尚南道にある高霊の韓国音による訓みなのである。」「結局タカマとは、高霊の地ということで、日本書記にいう加羅国(朝鮮半島南部にあった小国)」のことなのである。」
これを受けて氏は、自説を展開していく。
「高天ヶ原という名の首都が南韓の高霊郡から、日本列島に移動する契機となったのは、」「出雲朝廷の誕生がそのきっかけであったことはいうまでもない。」「以上のことからここではっきり言えるのは、高天ヶ原とは、政権の移動とともに転々とした国々の心臓部だったということである。」
本の最後で氏は、世界の現状を次のように分析する。
「東西対立が終わって以後の世界での大問題は、南北問題と民族問題である。」「時代を読むキーワードは民族であり、多発する民族紛争と混迷する民族対立の根本問題を解きほぐすことが急務である。」「日本人の祖先は、旧大陸で倭人、倭族という名で少数民族扱いをされ、」「強大国の間でその存在を保持するため、ありとあらゆる辛酸をなめ、最後に日本列島にたどり着いた、」「世界で稀に見る民族的経験の豊かな人種なのである。」
「それは日本人が、他人種、多民族の文化に対しても著しく寛容なところからも言えるのであって、」「日本人くらい他の民族に対し、宗教的な寛容の姿勢を持っている民族は珍しいと言われている。」
だから日本人は、民族対立の世界でその発展に寄与できるのでないかと、氏は言う。同時に日本人は、世界的視野に立って、厚い神話の幕に覆われた皇国史観をあますところなく打ち砕かねばならないと強調する。
氏の意見が独りよがりなのか、私の反論が独善的なのか、それは知らないが、私は氏の意見に納得できない。天照大神の神話が現実的でないことを、国民の多くは知っている。同時に世界の王様たちが何らかの形で神話を持ち、権力の裏づけとしていた事実も知っている。国民が大切にしているのは、神話の理屈でなく、連綿として守られてきた皇室の素晴らしさだ。国民統合の中心に存在する天皇を、敬意を持って眺めている。それだけの話だ。
神話を否定したり、現実に照らして難癖をつけたり、矛盾を暴いたり、そのようなことは誰も望んでいない。まして「あますところなく打ち砕こう」などと、左翼の人間でない限り考えてもいないはずだ。日本人が他民族の文化や宗教に対して、類まれな寛容さを持っていると言うが、それは八百万の神々を受け入れている神道が行きわたっているからでないのか。
皇国史観をあますところなく打ち砕いたら、神道も打ち砕かれるに違いないし、日本人の素晴らしい特質だって消滅するのではないか。あれやこれや、氏の意見に対しては、国民の一人としてうなづけないものが多々ある。
次に読む本の題名と著者を見たら、ため息が出た。安達巌氏著「出雲王朝は存在した」である。いったい叔父はどんな気持ちで安達氏の本を二冊も購入したのだろう。でもまあ、幸いに時間はたっぷりとある。叔父の心を訪ねる旅を、明日も続けるとしよう。