千葉日報が「改憲論の潮流」という記事を、6月7日と6月9日の二日にわたり、上下に分け、ページの4分の1を使い、報道している。
売国の朝日を止めて以来、現在あの新聞が、どのような記事を書いているのか、知らないが、少なくとも千葉日報のように、憲法改正の論議に、本気で触れているとは到底思えない。
つい五六年前まで、朝日新聞を筆頭に、新聞もテレビも雑誌も、「憲法改正論議」には、触れることさえタブーだった。
だが最近の千葉日報は、私が知る限り、憲法や安全保障に関する記事を、積極的に取り上げるようになった。相変わらずマスコミ界では、九条に少しでも触れば、日本が軍国主義の国になると、騒ぎ立てる。世の風潮と言うのか、反日マスコミの主流意見と言うべきか、夢世界の理屈が、幅を利かせている。
千葉日報も、そこには、大いに気配りをしているらしい。
「揺れる九条、反対根強く。」「安部政権下の改正反対56%」「問われる立憲主義」「中身より、とにかく改正」「縛るのは権力か国民か」
などと、今年の1月以来、こうした表題の記事が、紙面を飾っている。部数の減少で、経営難に陥りつつあるとはいえ、今でも売国の朝日は、業界の大元締めだし、解体すべしと批判されても、相変わらず赤いNHKは、テレビ界のドンである。
吹けば飛ぶような地方紙の千葉日報が、太刀打ち出来る相手ではない。だから紙面の表題だけを見ていると、売国のマスコミ界で、どん尻を走っているような、情けない姿に見える。
だが、私のように、千葉日報を真面目に読み、真面目に、記事のスクラップをしている者にとっては、なかなかどうして、軽視できない新聞社である。
森達也氏とか、流通経済大の植村教授とか、シールズの奥田某とか、何が何でも日本の軍備反対派たちの意見が、派手に紙面を飾っているが、よく見ると、慎重な小見出しが私の注意を引く。
「本音で議論を」「タブー視せず議論を」「自衛官、リスクの議論不十分」「今あらためて議論を」「首相支える、草の根保守」「問われる国のあり方」
記事の主流は相変わらず、朝日やNHKの主張に沿っているように見えるが、千葉日報は、改憲賛成論者の意見も、同じ比重で並べている。いわゆる「両論併記」という、報道の基本原則だ。
朝日やNHKが「両論併記」の原則から逸脱し、どれだけ国民に、片方の意見だけを知らせ続けてきたか。何年か前までの自分もそうだったが、日本さえ軍備を持たなければ、世界が平和になると、信じさせられてきた。
これが敗戦後の日本に、異常発生した善良なる国民、すなわち「お花畑の花」たちだ。
戦争の責任はすべて日本にあり、日本だけが、残虐非道で、世界の国々はその犠牲になった。未来永劫、日本は世界の人々に、謝り続けなくてはならない。人の心の痛みを知る人道的な人間は、そうしなければならない。だから憲法の九条は、死守しなくてならない。
だがこれは、一面の事実でしかなく、世界の国々は、そんな空論では動いていない。国際社会の非情さと厳しさ、あるいは不条理さを、反日のマスコミが、国民の目に見せなくしてしまった。それが、敗戦後の実態だ。
日本だけが静かに息を潜めていても、世界の平和は訪れないと、国民の目を覚まさせたのは、韓国による慰安婦問題の捏造と、中国による領海侵犯だった。
中国の異常なまでの軍備増強と、近隣諸国への恫喝外交が、やっと国民に事態の深刻さを教えた。尖閣諸島周辺への領海侵犯だけでも、警戒心を高めさせるというのに、6月15日には、中国の軍艦が口永良部島の領海を侵犯した。
そこはもう、鹿児島県のすぐ目の前の海だ。しかもこれまでは、公船と呼ばれる警備艇しか来なかったのに、今回はれっきとした軍艦だ。何を考えているのか、見当もつかないが、巨大な中国は、巨大な軍隊の存在を誇示し、日本へ執拗な挑発を続けている。
「え、中国が脅威ですか?」「あの国が日本を責めるなんて、そんなことはありませんよ。」
何時だったかテレビの番組で、鳥越氏が、安保法制への反対論を述べていた。何を根拠に中国を信頼するのか、知らないが、自分の国だけを悪とする、危機感の喪失した、氏のような思考の人間が、マスコミでは幅を利かせている。
それだけに私は、千葉日報の報道姿勢を評価する。控えめだが、本気で国民に知らせているのが分かる。
「本音で議論を」「タブー視せず議論を」「自衛官、リスクの議論不十分」「今あらためて議論を」「首相支える、草の根保守」「問われる国のあり方」・・・・。
過去の記事の見出しを 、私は何度でも反芻する。
産経新聞のように、保守の旗印を明確にせずとも、千葉日報のような会社が、両論併記という形で、読者に向かっている姿が凄い。朝日の部数に及ばないとしても、産経新聞は、全国紙だし、知名度も高い。
しかし千葉日報という新聞社の名前は、千葉県民にだって、浸透していない。全国でなら、そんな名前の新聞があるのかと、おそらく大半の国民が言うはずだ。
この際、千葉日報の難しい立場を、少し述べるとしよう。
全国紙は、自前の新聞店を持っているが、地方紙の千葉日報は、配達と販路拡張を、読売新聞の販売店に委託している。販売店にとっては、千葉日報のお客が増えるより、読売のお客が増えた方が利益になる。部数の少ない新聞は、折り込み広告だって集まらない。配達される新聞に入っている、折り込み広告が、沢山あるほど新聞店の利益になる。
新聞紙面の広告は、新聞社の収入だが、折り込み広告の手数料は、販売店の収入になる。千葉日報を購読して以来、販売店の店員は、飽きることなく、読売新聞への切り替えを勧めてきた。洗剤やサラダ油、てんぷら油など、半年分をサービスするからと、断っても、断っても勧誘された。
配達する店員に感謝していても、新聞は、サービス品につられて読むものでないから、私も妻も断り続けた。
つまり千葉日報は、販売店の店員たちからも重要視されていない、マイナーな新聞なのだ。まして現在、朝日などに育成された、人道的平和主義者が溢れている日本では、「両論併記」の記事だって歓迎されない。
むしろそれは、読者を減らす可能性すらある。こんな事情を知ってからというもの、千葉日報の報道姿勢に、一層敬意を払わずにおれなくなった。
「千葉県民の皆さんは、千葉日報を読みましょう。」と、新聞社には何の関係もないが、駅前に立って訴えたい気がする。
千葉県以外の人に買いたいと言われたら、販売ルートを持たない新聞社は、困ってしまうにはずだ。だから私は、千葉日報へ迷惑をかけないよう、ささやかな自分のブログの中で、そっと宣伝したい。
もしかするとマスコミの鑑になれるか、「千葉日報」