ねこ庭の独り言

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いま解き明かす「出雲大社の謎」

2016-06-05 20:41:44 | 徒然の記

 山崎謙氏著『出雲大社の謎』(平成6年刊 (株)ディーエイチシー)を、読み終えた。

 亡くなった叔父の蔵書の一冊だが、目からウロコどころの話でなく、歴史の知識を根底から崩されるような衝撃を受けた。昭和24年徳島県に生まれた著者は、今年67才だ。明大文学部で考古学を専攻し、卒業後は出版社に勤務した。昭和55年に、フリーライターとして独立し活動している。

 学生時代から九州・出雲地方で遺跡の発掘作業に参加しているが、氏は学者としての道を進んでいない。考古学の素人として過ごし、いわば個人的な情熱からこの本を出版している。生まれて一度も耳にしたことのない意見に接し、正直なところたじろいでいる。書かれた内容に驚くと同時に、素人の意見を鵜呑みにして良いのかと、不安も抱いている臆病な自分がいる。

 出雲大社について知っていることといえば、縁結びの神様として名高い神社、あるいは別名大黒様と呼ばれている、大国主の命が祀られる古い歴史を持つ神社ということくらいだ。その私を、氏はのっけからビックリさせる。「世界一の木造建築といえば、東大寺大仏殿。」「私たちは、歴史の授業でそう習った。」「だが出雲大社の社伝によると、本殿の高さは、上古は九七メートル、中古でも四八メートルあったという。」「出雲大社本殿は、平安時代において、東大寺大仏殿より巨大だったというのだ。」「ちなみに現在の高さは、二十四メートルである。」こんなことは氏の本で初めて知ったが、果たして何人の日本人が耳にしている話なのだろう。

 そして、この叙述だ。

「出雲大社は、本殿以外にも付属する神社が多い。」「本殿裏には、大国主の命の岳父といわれる、須佐之男神(すさのおのみこと)を祀る素鵞の社(そがのしゃ)、本殿脇には大国主の命の妻である、多紀理比売(たぎりひめ)を祀る筑紫社などの、各社がある。」そんな神様が祀られていることなど知識のかけらにもなかったが、こうなると出雲大社は、まさに神話の世界にある。

 「日本神話というと、通常 『 古事記 』、『日本書紀』に登場する神話のことを指す。」「日本神話は、大和朝廷の権威づけや、支配の正当性を語るものである。」「古事記の成立は712年、日本書紀の成立は720年である。」ここまでは知っていたが、次のことはもちろん初耳だ。文章を引用すると長くなるので、簡単に述べてみよう。

 『古事記』は皇室の系図と関連する物語を元に書かれているが、『日本書紀』は有力豪族から提出させた『家記』の内容が加えられている。だから、『古事記』が上中下の三巻であるのに対し、『日本書紀』は全30巻と大部になっている。編纂過程で自分たちに都合の悪い部分はどんどん削られたらしいが、地方の神話をそのまま取り上げているものが多々あるのだという。性にまつわる話や、汚い話が多いのはこうした理由だという。

 氏の説によると、古代の日本には大和朝廷と出雲王国という二つの強国が存在し、激しく対立していたのだという。神話の中で出雲が何度も詳しく語られるのは、この強国の平定のため、いかに大和朝廷が苦労したかという証だとのこと。したがって、大国主の命が大和朝廷に平和裡に「国譲り」をしたというのは、事実に反すると氏が驚くべき意見を展開する。

 「王子を失い、部下も次々に死ぬ中で、大国主命は捕らえられてしまう。」「信濃に逃れた建御名方神(たけみなかたのかみ)は、絶望的な戦いを続けていたが、ついに諏訪で戦死してしまう。」「もはや抵抗する勢力もなくなり、出雲は完全に大和朝廷に制圧された。」

 「これからの出雲をどうするか、大国主の命をどうするか。」「大和朝廷では重臣や各国の諸将が集まり、連日会議を重ねた。」「そして大国主の命の処刑が決まった。」「大国主の命は、稲佐の浜で処刑された。」「そして大国主の命という偉大な王に対する畏怖から、大和朝廷はその霊を恐れた。」

 「出雲には100メートルになろうかという、巨大な建造物があり、出雲のシンボルとして全国各地に鳴り響いていた。」「大和朝廷はそこに遺骸を安置し、大国主の命の死の宮殿とした。」「出雲大社は、大国主の命の霊が祟らないようにするため設けられたもので、これがのちの出雲大社の始まりとなる。」

 全国の神社は天照大神を頂点とする、八百万の神々が古代より連綿として一本につながっていると、私はずっと信じていた。だが氏の意見に従えば、古代の日本には大和朝廷と出雲王国が覇を競っていたことになる。詳細を省略するが、当時の出雲王国は、日本海を通じて、北陸地方、北九州、さらには朝鮮半島とも繋がりを持つ、巨大な一大勢力だった。何より驚かされるのは、大和地方が大和朝廷より先に、出雲王国の支配地であったという説だ。

 大国主の命の処刑は、著者の私見であり、「神話に盛り込まれた話を解釈すると、こういう感じになるのではないか」と、注釈も入っている。だが、出雲大社の神座の不思議についての説明を読むと、受け入れざるを得ない私見となる。

 「神座は、一般的には参拝者に対して正対している。」「ところが出雲大社では、横を向いているのである。」「出雲大社では、参拝者に正対する場所に " 御客座" が設けられ、五柱の神様が祀られている。

 「天之御中主(あめのみなかぬしのかみ)の神、高御産巣日(たかみむすびのかみ)の神、神産巣日之神(かみむすびのかみ)」の他、二柱の神だ。出雲大社では、考えられないことが行われいていると氏が指摘する。

  五柱の神様の位置は、大国主の命の下座に位置しているのでなく、むしろ前に立ちはだかって押し込めているというイメージが強いのだという。見た経験もなく、説明を聞いたこともないのだが、もし、この位置関係が事実なら、氏の意見に異を唱える何も持たない私だ。

 「このことは、大国主の命の恨みがいかに強いか、」「またその怨霊を、大和朝廷がいかに恐れたかを物語っているのではないか。」「そこまでして、大和朝廷は大国主の命の怨霊を鎮めたかったのである。」

 荘厳で、穏やかな神の祀られる出雲大社の姿が、自分の中で変貌しつつある。母の里が出雲である私にとって、出雲大社には格別の思いと思い出がある。シベリアに抑留されていた父が戻って来たとき、父と母と三人でお参りしたのは、出雲大社だった。

 私たち家族は九州で暮らすこととなったが、高校入学の祝い、あるいは大学入学の祝いの折には、お礼のお神酒を持参してお参りをした。伊勢神宮のような白木造りの神社に、相通じる日本古来の伝統を感じていたのに、それは敵対する神様の社だった。

 こういう本が、世の中にあったということ。

  私には、まだこの本の中身が信じられず、全てが消化できないまま浮遊している。知ることの喜びと知ることの悲しみとを、一度に味わわされた本だ。私はまた、ここから出発しなければならない。とてもでないが、まだまだ死ぬわけにいかない。 
コメント (4)
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