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憲法講話

2017-03-04 21:00:48 | 徒然の記

 宮沢俊義氏著「憲法講話」(昭和42年刊 岩波新書)を、読了。

 氏の略歴を知らずにこの書を読めば、博識の教授に敬意を表すると思います。また実際、傾聴すべき意見も沢山ありました。例えば、明治憲法を復活しても、そのまま現在に通用するから現行憲法は不要だと、そのような意見がありますが、氏はそれに異を唱えます。

 説明を聞きますと、なるほど、明治憲法はそのまま現在の日本には通用しません。憲法を超えた天皇の「統帥権」が、再び軍による政府の軽視を引き起こす危険性についても、理解します。明治憲法は、天皇の助言者あるいは責任者として、国務大臣を置いていました。国務大臣は、帝国議会のコントロールを受けましたから、政府も政策遂行に制約されました。

 しかし統帥権は、政府から独立し、天皇自らが行使するという建前になっていましたため、天皇への助言者は、陸軍は参謀総長で、海軍は軍令部総長でした。軍務に関するすべては、結局陸軍と海軍が実質的決定権者となり、議会のコントロールが及びませんでした。婉曲ではありますが、氏はこれを明治憲法の欠陥とし、悪法のように語りますが、別の見方もあります。

 欠陥の明治憲法が、どうして明治、大正と、問題なく運用されてきたのか。それは明治の元勲が、存命であったからだという意見です。維新の改革を行ってきた元勲たちは、政府要人であると同時に、軍人でもありました。愛国者である彼らは、諸外国と日本の国力の差を十分理解し、日清、日露と、国運をかける大戦争をしても、いかにそれを終わらせるかを常に考えていました。無謀と思われる戦争をしても、早期の終結に心血を注ぎました。

 大国と戦争をしても、長期戦になれば日本に十分な国力がないことを知っていました。先の見えない大東亜戦争は、元勲たちがなくなった後の戦争でした。元勲がいなくなれば、統帥権の独立が幅を利かせ、軍部に手出しのできない政治家ばかりになったのですから、やはりこの時点で、明治憲法は見直しが必要でした。

 しかし、敗戦という辛い現実に遭遇しなければ、明治憲法の見直しはできなかったのです。これは、熱しやすく冷めやすい、私たちの宿命でないかと思ったりします。あるものを正しいと信じますと、一途にそれを思いつめ、他を排斥する狭さが、日本人の欠点であると認めなくてならない気がします。聖徳太子による仏教重用時代以来、わが国は外圧によって、あるいは外圧を利用して、国策を修正してきました。律令制を導入した大化改新もそうですし、ペリーの来航もそうでした。

 押しつけ憲法なのか、そうでないのか、相反する事実が沢山あり、いろいろな意見が流布しています。それでも冷静に観察すれば、GHQの提示した憲法も、外圧の一つです。押しつけられたのか、利用したのか、マッカーサーと幣原首相による「阿吽の呼吸」の産物なのか。今となっては、確かめようがありません。

 元勲がいなくなった後の帝国憲法の不備は、歴史の流れの中で露呈したものです。敗戦後も70年が経過すれば、現行憲法にだって不備が生じます。憲法一条と九条は、日本人が、叡智を絞って修正しなくてはなりません。つまり、「天皇」と「戦争放棄」の二つは、日本の土台なのです。

 さて私はここに来て、拙速主義を捨てました。どうやら安倍政権で、憲法改正はできないのでないかと、そんな思いがしてきました。移民政策やカジノ法案を推進する愚策と、森友学園のスキャンダルなどが、憲法改正を阻む障害となりつつあります。総理の後には、憲法改正を標榜する自民党議員が見当たりません。つまり、本物の憂国の士や憂国の議員が、まだ出現していないのです。議員諸氏は、安倍総理の流れに乗っているだけで、国論を二分する憲法改正に取り組む勇気が、ないのでしょう。

 宮沢氏の著作は、50年前の出版物とはいえ、今尚多くの人間が賛同しています。国際情勢の変化がどうあろうと、たとえ日本が滅びようと、気高い憲法を守るという、お花畑の住民が沢山います。ただ彼らの多くは、私同様老人が多いのです。私も含め、老人はそのうち消えていきますから、頑迷な彼らと不毛な諍いをする意味がどこにあるでしょう。

 意味のない諍いをやめ、私はこれからも、自分の信じるところをブログで述べ、明日の日本を考えます。この本で最大の収穫と感じましたのは、憲法の権威として今尚、日本人に尊敬されている氏が、次の3点を明確に述べているところでした。

  1. 現行憲法は、押しつけ憲法の性格が強いこと。

      2. 現行憲法は、手続き的には明治憲法を継続しているように見えるが、実質は革命でしか施行されない形の憲法であること。

  3. 占領国による憲法作成であり、国際法違反のおそれがあるとこ。 

 つまり、歴史的に見ましても、現行憲法は、日本人の手によって、改正されなくてならない定めにあるということです。内閣の一つや二つが吹き飛んでも、国家百年、五百年の計のためには、私たちが超えなくてならない高い山です。願わくば、アメリカや中国や、そのような外国の力を頼りにせず、日本人の手で作り変えたいものです。そうでなければ、いつまでも日本は、どこかの国の属国のままです。

  話が大きく飛びますが、2月25日付の千葉日報で、作家の五木寛之氏が大きく取り上げられていました。氏のベストセラーだった「青春の門」の続きを、23年ぶりに書くのだという記事でした。その中で、氏が次のように語っています。

「ナショナリズムは、祖国にこだわり過ぎるところから来ているのではないか。」「僕は、落ちたところに根を張る、デラシネの思想です。」

 デラシネという言葉を初めて知りましたが、簡単に言いますと、放浪とか流浪者をいうらしく、祖国を持たない人間の意味でした。先ずもって私は、氏の「祖国にこだわり過ぎる。」という言葉に、違和感を覚えました。自分の国を大切に思う気持ちは、こだわりすぎるという表現が適切なのでしょうか。国を大切に思ったり、愛したりする気持ちを、なんでわざわざナショナリズムという、大げさな言葉で表現するのでしょう。

 そんな無理やりにこじつけた思いでなく、自然な気持ちから生まれる感情のはずです。私たちは親を大切に思い、愛しますが、こだわり過ぎるからそうなるのでしょうか。 

 誰に教えられなくとも、多くの人は親を大切に思い、愛します。生まれた国への愛は、それと同じで、素朴な感情です。だから私は、有名な作家である五木氏にとって、憲法問題は、他人事でしかないのだと、知りました。氏はお花畑の日本人というより、親ソ派のニヒリストだと言います。

 日本には、いろいろな人がいるものです。宮沢氏もしかり、五木氏もしかり、そしてもちろん私もしかり、在日の辛淑玉氏もしかり。許容する寛大な日本になぜ感謝しないのでしよう。不思議でなりません。

 

コメント
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