今日は1日、国会の証人喚問を見ました。日本を取り巻く国際情勢を考えれば、「たかが森友学園。」と思いますが、いざこうしてテレビでの報道を終日見せられますと、「されど森友学園。」でした。
「安倍昭恵夫人という、お人好しの愚昧な女性のため、政権が揺らいでいる。」「身の程知らずのバカな宰相夫人を擁護するため、自民党が茶番劇を演じている。」
私は反日の左翼ではありませんし、むしろ総理を支援する人間ですが、どう贔屓目に見ても、昭恵夫人を擁護する気になれません。夫である総理が、今何をしている時なのか、伴侶として何をすべきか、あるいは何をしてならないのか、政治家の家族として持つべき常識さえありません。
自分の妻ですらコントロールできない人物が、どうして政界で野党と渡り合い、外国の大統領や首相と対峙できるのかと、結局は総理への疑問と幻滅につながってしまいます。森友学園の一連の動きは、私の目には、限りなく灰色でも、法的には処罰の対象にならない、政界での些事だと映ります。しかしテレビでここまで大きく報道されますと、国民には、道義的責任の大きさの方が目立ち始めます。
ちょつとした言葉が、「国民を騙した、嘘をついた。」「そんなことで、総理が務まるのか」と、こうした感情論へ直結します。やがて安倍政権の支持率ダウンへつながり、自民党への批判が高まれば、ポピュリストが多い政治家は「民意民意」となびきます。ついには自民党内で総理が孤立し、政権が弱体化し、社会が騒がしくなります。
こうなればもう、反日野党の思う壺です。私が今、怒りを燃やしていますのは、安倍宰相夫人と、夫である安倍総理です。こんな詰まらない問題で政権を揺らがせている浅はかさが、許せません。どうでも良い内閣なら、野党と共に攻撃するのでしょうが、期待する内閣であるだけに、歯ぎしりするほどの怒りと痛みがあります。
今上陛下の退位のお言葉についても、日本の先々のことは考えず、ただ「大変だろう」と同情する単純な国民性を思いますと、森友学園のことも、同じ反応をするのかもしれません。「国民を騙した、嘘をついた。」「そんなことで、総理が務まるのか」・・・。つまり冷静さを欠いた感情論です。
もしも総理が、このバカバカしい茶番劇の難局を乗り越えられたとしましたら、昭恵夫人は監視付き「蟄居」か「遠流」か、そうしなくてはなりますまい。種々の報道を吟味いたしましても、昭恵夫人は邪悪な人でなく、むしろ善良な、悪気のない女性です。しかし悪気のない、善良な人物こそが、現在の日本のガンです。亡国の朝日新聞に心酔し、日本を嫌悪し外国を賛美する「お花畑の住民」は、みんな昭恵夫人のような人々です。無知蒙昧な、単細胞な人道主義者と、私は遠慮なく言わせてもらいます。
日本国の総理ですから、今後は家庭の茶番劇を、政治に持ち込む愚を繰り返してはなりません。国民のための政治をするのですから、私事を公務と混同してはなりません。彗星のように現れ、ソ連の書記長となり、世界のリーダーともなれたはずのゴルバチョフ大統領が、どうしてあのように無残な失脚をしたのか。
ライサ夫人への偏愛が、ゴルバチョフ氏の神話を打ち砕き、周りの政治家を失望させたためだと、安倍総理は知らないのでしょうか。神聖な赤の広場のお立ち台は、誰もが並べる場所ではありません。祖国のため命を捧げ、多大な功績を挙げた政治家だけが登壇できる、晴れの場です。
ゴルバチョフ氏は、その場所にライサ夫人を並ばせました。この公私混同が、ゴルバチョフ氏への失望と反感、そして蔑視へとつながっていきました。どんなに細君が優秀であっても、どんなに夫として愛していても、政治家に公私混同は禁物なのです。
森友事件そのものには、些事だという認識を変えませんが、昭恵夫人の関与という事実は、野党には見逃せない餌ですし、「お花畑の国民」には、「反安倍」への好材料です。くれぐれも油断されることなく、この事態を乗り切られるよう祈念します。
もっと書きたいことが他にありましたが、「森友学園」を語らずには先へ進めなくなりました。総理にとってもそうですが、私にもこれは、「たかが森友学園。されど森友学園」です。明日の日本のため、乗り越えたい壁です。