去る3月4日に、いつもの図書館で、廃棄図書をもらって来ました。一人18冊まで許されるので、いつも限度いっぱい貰ってきます。図書館の会議室だと思いますが、常に満員の盛況で、終了時間の間際になりますと、25冊貰えたりします。汚れていたり、人気のない本だったりですが、乱読の私は、小さなことにこだわりません。(読後は、小学校の有価物のゴミとして処分しますし・・。)
無差別入手の書籍には 、思いがけない知識との出会いがあり、心が躍ったりします。廃棄図書とは言え、手にしている間は「私の師」であり、「良き友」です。きっと自分は、こういう日々を積み重ね、残りの一生を終えるのだと思いますが、無料で喜びを与えてくれる千葉県にはいつも感謝しています。こんな粋な計らいを全国で認める日本にも、感謝の念を抱きます。
住民サービスのため、中国や韓国や北朝鮮が、廃棄図書の無料配布などやっているはずもありませんから、日本の悪口をいう左翼が許せないという、私の気持ちは、こうした日常の小さな感謝の念からも生れています。
前置きが長くなりましたが、戸川猪佐武氏著「小説吉田学校」(昭和55年刊 角川書店)の、一巻と二巻を読み終えました。全部で八巻あるのですが、残念ながら、三巻しか手に入りませんでした。廃棄図書には、時として、このような不具合が生じますが、無料ですから贅沢は言えません。
さて著者の戸川氏は、大正12年に神奈川県に生まれ、昭和58年に満59才で亡くなっています。 早稲田大学へ入学し、陸軍に召集されますが、直後に終戦を迎え、早大へ復学し卒業するという経歴の持ち主です。昭和22年に読売新聞へ入社して、政治部記者として活躍した後、政治評論家になったとのことです。
政治記者としての関係から、吉田茂氏とも親しく、特に同郷の河野一郎氏とは深い付き合いだったと言われています。重光葵氏や佐藤榮作氏のような官僚政治家より、党人派の政治家に好意を寄せていましたので、戸川氏の通夜には、当時の首相である中曽根康弘氏が駆けつけ、葬儀には田中角栄氏なども参加していたと言います。
やり手の氏は政界の事情に通じていますから、本には読者を飽きさせない裏話が満載です。占領軍の高官たちに鼻であしらわれたり、命令されたり、屈辱に耐える吉田首相や他の政治家たちの姿には、心が痛みました。
しかし同じ保守と呼ばれていても、林房雄氏とは大きな相違がありました。林氏の著作には、日本への強い愛と誠が感じられ、ひとこと一言を大切に読みましたが、戸川氏の本にあるのは、特ダネを追うジャーナリストの熱心さだけで、心に響くものが皆無でした。
首相の座を得るために、政治家たちがどれほどの苦労と努力をするのか、時間をかけ、叡智を絞り、金脈と人脈とを築きあげていく。大した辛苦と敬意を表しますが、国を思う志の高さがない政治家ばかりが描かれています。言いにくいことですが、同じ文筆業であっても、戸川氏と林氏の人格というのか、品格というのか、天と地ほどの差があるのではないのかと、感じさせられました。
登場する政治家の人格が低いというのでなく、叙述している戸川氏の空疎さのせいでないかと思ったりしました。権力を手にするため、権謀術数だけで政治家が生きていると、本では面白く語られますが、はたしてそれだけで政界での人望は保たれるのか、疑問でなりません。
官僚嫌いの氏は、重光葵氏や佐藤栄作氏を陰湿な人物として描きますが、これも、そのまま素直に受け取れませんでした。かって司馬遼太郎氏が、乃木大将を愚将としてこき下ろしたように、一つの先入観で人物評をしていると、そんな印象が拭えませんでした。反日左翼への偏見と先入観が捨てられない自分なので、戸川氏の先入観を批判できませんが、林氏の著作の重さに比較すれば、その軽さは、新しい発見でした。
ですから、今回は本の中身を語らず、引用もせず、このまま終わりたいと思います。ネットの情報によりますと、氏の突然の訃報は腹上死だという説もありました。それならば、何をか言わんやです。林房雄氏と並べること自体が、相応しくありません。後一冊ありますが、これにつきましても、読後感想は省略いたします。
追記。三巻の中にある、総裁選に関する氏の言葉です。
「現実の総裁選の勝負は、政策ではない。」「資金と多数派工作だ。」派閥を抱えた領袖たちの意見として、氏が書いています。事実の大きな一面ですが、政治をそれだけのものとして語る氏の、心根の小ささを私は是としないのです。