5月18日の千葉日報に、「旬英気鋭」というコラムがありました。
新しく始まったコラムだと思いますが、表題からして引っかかります。気鋭と言う言葉は、意気込みが鋭いという意味で、辞書にもありますが、旬英と言う語はありません。別々に辞書で引くと、旬は、「その時期に一番話題になっている」という 意味があり、英は、「優れた人物」という意味があります。
つまりコラムは、「その時期に一番話題になっている、優れた人物」の意見を取り上げたもの、ということなのでしょうか。今回は、社会学者である、倉橋耕平氏が取り上げられています。
ネットで調べても生年月日が不明ですが、新聞に掲載された写真から推察しますと、30代後半か、40代前半に見える若い学者です。
関西大学で、社会学博士となり、現在は立命館大学の非常勤講師ですが、他にも関西大学、近畿大学、大手前大学などで非常勤講師を務めています。
氏が博士号を取得している社会学とは、どんな学問なのか。これも念のため、ネットで調べました。何ページにもわたる社会学発祥の歴史や、代表的学者などについて説明がありましたが、簡単に紹介した。
1. 社会現象やその現象がおこる因果関係を、解明するための学問である。
2. 思想史的に言えば、同時代史を把握する、概念 ( コンセプト ) を作り出そうとする
学問である
歴史学や文化人類学や政治学とどう違うのか、説明を読んでもサッパリ分かりませんでした。「分からない」ということが、「分かった」ので、ここから本日のブログを始めます。
たかだか千葉日報のコラムに向かおうとするのに、なぜ「ねこ庭」がここまでこだわり、辞書まで引きくのか。それは、説明のつかない怒りが駆り立てるからです。
・歴史修正主義者たちの主張は、戦後民主主義に対するアンチテーゼなのだと思います。」
写真の横に書かれた氏の主張に、胸が切り裂かれました。氏は私のような人間を「ネトウヨ」と蔑称し、歴史修正主義者と言います。
「ねこ庭」についても、氏の言葉で言えば、「戦後民主主義に対する、アンチテーゼ」となるのでしょう。「アンチテーゼ」などと言わず、簡単に「反論」と日本語を使えば誰にでも分かるのに、新進気鋭の学者は難しい言葉を使い私のような無知の人間を惑わせます。
「旬英」の若手学者倉橋氏の卓見を、紹介します。
・「南京虐殺はなかった。」「従軍慰安婦問題は朝日新聞が捏造した。」こうした歴史修正的言説が、流布され続けるのはなぜなのか。
氏はのっけから、私の心を傷つけます。しかも、このクソ生意気な若者らしい、というより、バカ者らしい言葉の腹ただしさ。
・ゲームのルールが違うから学問的な正しさで争っても、彼らには響かない。
戦後の日本を見直そうと苦労いている者を、こともあろうにゲームのプレイヤーとして捉えています。そう言えば、氏は漫画雑誌や月刊雑誌の評論家でもありました。
最近出版した氏の著書について、千葉日報が解説しています。
・歴史修正主義者が台頭した、1990 ( 平成2 ) 年代を対象に、漫画や論壇誌などを分析し社会現象を明らかにしている。
おだてられれば豚も木に登ると言う言葉がありますが、千葉日報に褒められ、氏は木に登ります。
・歴史の専門家でないアマチュアの論者が、読者を巻き込みながら、韓国や、朝日新聞といった敵を名指しすることで、党派性を強め商業的成功を収めていきます。
・ネット時代になり、こうした構図がいっそう可視化され、広がった。
確かに「ねこ庭」は、歴史の専門家ではありません。しかし氏が学者と自称し、木に登った豚でないのなら、国民の多くがなぜ韓国を敵視するようになったのか。なぜ、朝日新聞を敵と攻撃せずにおれなくなったのか。短い、新聞のコラムだとしても、ここを語らなければ説得力がありません。
南京虐殺はあった。朝日新聞は捏造していない。歴史学者の間では、これらが解決済みの問題というのなら、根拠を示さずしてで読者が納得すると思っているのでしょうか。
ネトウヨと氏に蔑視され、専門家でないアマチュアと言われますと、温厚な「ねこ庭」紳士でも、機嫌を損ないます。
・「ねこ庭」で自分の主張を世間に広めて、いったいどんな商業的な成功を、収めていますか。
・「ねこ庭」が党派を作っていますか。
氏の攻撃相手が、保守系の漫画雑誌や、保守論壇の雑誌だと、知らない訳ではありませんが、抽象的な意見では「ねこ庭」も対象になります。こうした商業雑誌が、国民の目覚めを好機とし、売上を伸ばしているという事実があるのかもしれませんが、それならそうと言えば良いのです。
ですから「ねこ庭」は、
倉橋さんよ、と一言言わずにずにおれません。
・そんな金儲けの商業誌と、国を大切に思う「ねこ庭」を一緒くたにしていると、どこが気鋭学者の分析力かと軽蔑されるのではありませんか。
金と地位を求める学界に住む若手学者には、金や地位や無関係に日本を大事に思い、ネットで意見を述べている国民が多くいる事実を把握する力がないのでしょう。
つき合いついでなので、氏の寝言をもう少し紹介します。
・彼らが好んで用いたのが、大東亜戦争は、自衛戦争か否かというような、賛成と反対に分かれて討議するような、ディベート形式だ。
・一見公平な装いだが、二項対立に仕立てることで、陰謀論や俗説が根拠の確かな定説のように格上げされる上、真偽の確定や事実の証明よりも、その場限りの説得力で相手を論破し、言いくるめることが最優先となる。
ここまで言及するのであれば、二項立て論争を例示し具体的に説明しないと読者には伝わりません。それとも氏は専門バカの能力を発揮し、ほとんど世間が相手にしていないような、マイナーで低俗なブログを読み耽っているのでしょうか。
・そうした思考方法は、今や首相の国会答弁から、日々のネット上の論争まで、社会を覆っているように見える。
なんだ、これが言いたかったのかと失望です。一日に一回は安倍総理の批判をしないと、生き甲斐を覚えられない反日・左翼の思考です。若手学者も、この仲間だったかと理解しました。
氏の寝言があと少し続きます。息子たちには最後まで読んで欲しいのですが、「ねこ庭」を訪問者される方々には、これ以上は大切な人生の空費でしょう。
・党派性にもとづく論破が目的化していては、議論は成り立たない。
・無防備に彼らの土俵に乗るのでもなく、バカにして無視するのでもなく、その知のあり方を熟知し、あなたの議論のやり方がおかしいと、指摘していくことが重要だと思います。
やっと終わりました。これが締めくくりの主張です。
「ねこ庭」は千葉県民の一人として、千葉が生んだ伊能忠敬について語ります。そんなサービスはしたくないのですが、千葉県民の誇りが許しません。
氏は自分が専門家であると自負し、ネットの素人が歴史を語ることを蔑視します。「私は、憲法の専門家です」と、国会の場で自慢する恥知らずの小西議員の顔と、氏の顔がダブります。
特に千葉県では、「素人」をバカにしてはいけません。
伊能忠敬は、日本で初めて実測による日本地図を完成させた実践の学者ですが、地図と測量の勉強を始めたのは、50才になって以後です。「人生、わずか50年」と言われていた、江戸時代ですから、50才から始めた勉強のは、現在でいえば70才以上でしょうか。
それまで彼は、千葉県香取市佐原の造り酒屋の主人で、家業に精を出していた人物です。息子に家督を譲り隠居した年に江戸へ出て、測量の勉強を始めます。
何を言いたいのかと言いますと、50才までの忠敬は、測量学において素人だったということです。
現在の状況で言いますと、70才まで歴史の素人だった「ねこ庭」の私に似ています。素人でも本気になれば、そこいらのクソ学者のレベルくらいまではなれるのだと、これが千葉県の常識です。
ゲームだとか、ディベートだとかバカな話は、バカな大学ですれば良いのであり、千葉日報に寄稿するに値しません。
伊能忠敬のような人物は日本が日本である限り、全国津々浦々に存在しています。国を思う心が熱く、熱い心を抱く憂国の人々を十把一絡げに語ってはいけません。
どの程度の学者なのか不明な氏が、千葉県の公器である千葉日報の紙面で、在野の素人や年長者を、鼻先であしらうような意見を述べてはいけません。学者ならまず礼節を知ることから始めるべきでしょう。こんな言辞を弄すると、千葉日報の読者から嫌われ、まかり間違えば千葉日報が購読されなくなります。
商売の邪魔をするようなことは止め、記事を寄稿するのなら、倒産寸前の朝日新聞にでもすれば良いのです。「ねこ庭」は千葉日報の支援者ですから、氏の記事を読まされても、違った好意的解釈をします。
「千葉県の皆さん、日本の若手学者にはこんなバカな意見をいう者がいます。」
「参考情報として、お知らせいたします。」
さすが両論併記の千葉日報だ。よくやった、有難い、有難い
と・・こういう「ねこ庭」の意見のどこが、「二項対立のディベート」になるのか聞きたくなります。
「ねこ庭」の千葉日報への好意が、いつまで続けられることやら。