ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

タイの大地の上で ( レベルの高くない左翼文学 )

2019-07-14 21:39:08 | 徒然の記
 吉岡みね子氏編訳『タイの大地の上で』( 平成11年刊 財団法人・大同生命国際文化基金 ) を、読みました。タイの現代作家7人の短編が9つと、2人の詩人の作品が2つ紹介されています。
 
  1. 訳者の経歴 2.  推薦の言葉 3.  タイという国の概要・・・この3点を、先に紹介します。
 
 1.   訳者吉岡みね子氏の経歴 
 「昭和23年、長崎生まれ、昭和46年奈良女子大文学部卒。」「同年社団法人日泰貿易協会に入社、同協会の機関誌『タイ国情報』編集長を経て、」「現在、天理大学国際文化学部助教授。」
 
 ラオス現代文学の紹介をした二元裕子氏は、外務省の役人でしたが、吉岡氏も私企業に勤務する人ではありません。目立たない組織なのか、ネットで調べても、社団法人日泰貿易協会の情報が見つかりませんでした。
 
 2.  推薦の言葉  石井米雄氏( 神田外語大学学長 )
 「20年以上もの間、ひたすらタイ文学の研究と紹介に打ち込んでこられた、吉岡みね子さんが、新著を出版されることとなりました。」「その精力的なお仕事ぶりには、ただただ頭がさがるばかりです。タイ語で書かれた文学作品が、日本語で読めるようになろうとは、一昔前にはおよびもつかないことでした。」
 
 「吉岡さんには、文学作品の翻訳だけでなく、文学と政治、社会の関係を論じた研究もあり、吉岡さんのタイ文学への打ち込みようが、並々ならぬものであることを、感じます。」
 
 石井氏は、手放しで賞めていいのだろうかと、私の方が不安になります。前回もそうでしたが、読者のことを忘れ仲間内で賞めあい、楽しんでいるのかと思いたくなります。ほんの推薦者や、解説者は著者を賞賛し読者を騙して、本の売れ行きに協力するのが役目ですが、それも程度ものだと思います。
  
 「日本とタイの間には、すでに六百年もの交流の歴史がありながら、交流の内容は商品の交換であることが多く、人と人との交流は、思いの外少なかったように思われます。」「二つの国の間に、どれほど貿易が盛んになろうとも、人と人との交流がない限り、真の理解に到達することは難しいでしょう。」
 
 それは、氏の言われる通りです。隣りの中国や韓国とは、盛んに貿易をしていますが、正しい形での人と人との交流が欠けていますから、いつまでたっても真の理解に近づけません。
 
 「文学作品は、民衆の心に触れる、またとないよすがということができます。」「いろいろな意味で、日本と近い関係にあるタイ国との間に、揺るぎない友好が生まれるためにも、一人でも多くの人にタイの文学を読んでいただき、言葉を通してタイ人の心に触れていただきたいと思います。」「吉岡みね子さんの、新しい作品を紹介する次第です。」
 
 タイ国民、タイの庶民と言わず、氏は民衆という左翼用語を使います。確かに、収録された作品は、左翼的平等思想に満ち、裕福な人間への憎しみや怒りがあふれています。
 
 このような偏った作家の、下手くそな作品が紹介されて、日本との友好が果たして促進されるのか、疑問が生じてまいります。こうした作品に共感できるのは、日本人の中にいる反日左翼の人間でしょうし、息子たちに勧めたくない悪書です。反日左翼の日本人でも、小説以前のレベルなら相手にしないのでないかと、そんな安心感もあります。
 
 3.  タイ国の概要
 タイについて知っていることといえば、次の3つです。 
   (1).  敬虔な仏教徒の国であること。
   (2).  プーミポン国王という、立派な王様がおられたこと。
   (3).  政争に敗れたタク・シン首相が、どこかへ亡命したこと。
 
  以下は、別途調べました。
 
 「タイ王国は、東南アジアに位置する、君主制国家。」「東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国、」「通貨はバーツ、人口6,718万人、首都はバンコク、国土は、インドシナ半島中央部とマレー半島北部を占める。」「南はマレーシア、東はカンボジア、北はラオス、西はミャンマーと国境を接する。」
 
 「2014 ( 平成26 ) 年に、プラユット将軍の率いる国軍が、軍事クーデターを起こし、従来の憲法( 2007年憲法 )と議会を廃止し、実権掌握以降、軍事独裁政権が継続している。」「2016 ( 平成28 ) 年10月13日に、プーミポン国王が崩御。同年12月1日に、ワチラーロンコーンが国王に即位した。」
 
 「太平洋戦争が勃発すると、日本軍はタイへ進駐し、タイは表面上日本と日泰攻守同盟を結び、枢軸国として戦った。」「タイは東南アジア戦線では、日本に積極的に協力しており、現地軍の速やかな進軍を助け、兵站、補給など重要な役割を担当している。」
 
 「一方で、〈自由タイ運動 〉など、連合国と協力する勢力も存在し、連合国と連絡を取っていた。」「こうした二重外交により1945年、タイは、1940年以降に獲得した領地を返還することで、イギリスとアメリカとの間で講和することが出来、降伏や占領を免れた。」
 
 日本と、このような関係があったとは、知りませんでした。文学には興味が湧きませんが、タイについてはもっと知りたくなりましたので、次回も続けます。関心のない方は、スルーしてください。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする