田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

超短編小説 3 真紅の指

2012-09-11 07:20:06 | 超短編小説

3 真紅の指
 

それはまさしくbullet。
銃弾だった。
村木の心臓めがけてとんできた。
このままでは死ぬ。
とっさに、体をそらしていた。
よく映像で見かける。
45°上半身を後ろへ曲げる。
あれをやっていた。
よくこんなことができるものだ。
若くもないのに――。

冷静に弾丸を観察した。
いくら動体視力がいい。
とはいっても、老人にとっては、これは異常だ。
秒間100万フレームという超高速度撮影でとらえた映像のようだ 。
それは、まさしく弾ではなかった。
ひとの指だった。
それも真っ赤にマニキュアした指だった。
たとえ指でも心臓につきたてば死は免れない。
胸の鼓動が音をたてて刻まれている。
あまりの恐怖に村木はとびおきていた。

「夢だったのか」
それにしても、しばらくぶりで見た夢だった。
「あれは……あの赤い爪はわたしの心臓をつかみにきたミナの指だ」
ミナが村木の英語塾にはいってきたのは半世紀もまえだ。
東京オリンピックのあった年だ。
忘れるはずがない。
もちろん、村木も若くひとり身だった。
帰国子女をひとりひきうけてくれないかと恩師に頼まれた。
とうぜん、英語圏から帰国したものと村木は早合点した。
いまさら英語の勉強を塾でやることもないだろう。
ところがちがっていた。

淡いプラチナブロンドの美少女の言葉がまったくわからなかった。
オリンピックも終わり神宮の森の公孫樹が黄葉を色濃くしている季節だった。
英語でおたがいに思っていることを伝えることができるようになった。
そのころにはすでに冬になっていた。
ミナは美菜と漢字の名前でみんなに呼ばれるようになっていた。
そのころから、美菜は赤いマニキュアをして教室にあらわれるようになった。
そして村木にはバラの香りに感じられる濃い香水もつけてきた。

「勉強に来るのにマニキュアや香水をつけてこないように」
村木は強い口調で注意した。
美菜は悲しそうに村木を見上げていた。
真紅のマニキュアをした両手をスーツのポケットにかくしてしまった。
赤い唇を噛み、いまにも泣きだしそうだった。

いまであったら、それくらいのことで、叱咤することもない。

「あんたの塾では、うちの子の身なりのことまでうるさく干渉するのか」

美菜の父親から電話がかかってきた。
それも夜の授業中にながながと文句をいいだした。
次の週から美菜は教室にはあらわれなかった。

「ごめん。ゴメン。言い忘れたが、ルーマニアからお父さんと帰国してきたのだ」
事情を説明し、期待にそえなかったことを恩師に謝罪した。
「高級官僚だから居丈高になっておこったのだろう」
年老いた恩師は電話の向こうでおおきなため息をもらした。

美菜の父親は外交官をぶじにつとめあげた。
そして永住権を獲得したブタペストの郊外で自殺したと伝えられたのはこの夏のことだ。
そのために秋口になって夏の疲れがでた村木はなつかしい美菜の夢をみたのだろう。
でも、美菜にはまだ恨まれているだろう。
ブタペストで日本からの女子大生が殺された。
その大学が美菜が進学したセイシン女子大だった。
美菜の父の死。
女子大生の死。
そのふたつのニュースがたてつづけに報じられたので美菜の夢をみたのだろう。

実は、村木は美菜に会いにいったことがあった。
新宿の西口で美菜がパブをやっていると卒業生に聞いたからだった。
会って、美菜に謝りたい。
美菜は昔とすこしもかわっていなかった。
少女のようだった。
あいかわらずの、真紅の唇とマニキュアで村木を迎えた。
懐かしかった。
会えてうれしかったが、すなおにあやまれなかった。

店名「ミナ」。
ルーマニア・パブだった。

なぜ、すなおに、うるさいことばかりいってゴメンな。
とあやまれなかったのか。
村木は塾を止めていた。
小説をかきだしていた。
だからこそ、理解できたのかもしれない。
あのマニキュアは血の色をかくすためのものだった。
いくら洗っても消えない血の色をかくすためのものだった。
カモフラージュするための真紅のマニキュアだった。
あの唇のルージュも血の色そのものだった。
いくら隠してもかくしきれるものではない。
それを若い村木は当時はわからなかったのだ。
美菜は気づかれたと誤解して塾をさったのだろう。

美菜は店の外まででてきた。
「センセイ。懐かしかった。またいらっしゃって」
巧みすぎる日本語だった。
赤いマニキュアの手をひらひら肩のあたりでふっていた。
それでも美菜の目は笑っていなかった。
酔った村木は神宮をとおりぬけて青山の家までかえることにした。
「センセイ。センセイ。センセイ」
美菜の呼び声が耳元でしていた。
周囲は神宮の森。
暗闇だった。
首筋に痛みを感じた。
 
恨まれているだろうな。
いまでも、恨んでいるだろうな。
すっかり老いた村木は真紅の指の弾丸でつらぬかれたかった。
夢の中で赤い爪をした指で心臓をとりだされれば――。
リアル世界のわたしは死ぬことができるのだろうか。
村木はすっかり老いているはずなのに――。
人目にはまだ独身の若者としかうつっていない。
「ミナはいまでもまだ、あのパブをやっているだろうか」
明日こそ覚悟を決めてミナに会いにいこう。
まだ醒めきらぬ夢のつづきのなかで、村木はつぶやいていた。


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