田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

黒髪颪

2007-11-22 16:57:33 | Weblog
11月22日 木曜日 晴れ
●朝、室温が6度だった。冬がくる。ともかく舟形盆地のこの田舎町の冬は寒い。地形にもよるのだろう。男体颪にも起因するのだろう。わたしは、小説を書くときには「黒髪颪」と書くことにしている。黒髪颪というほうが、髪をふりみだすような風がふいているようで、すさまじい感じがでる。この日光方面から吹いてくる北風が体感温度を奪っていく。わが家のように築90年くらいになる民家では隙間風が酷い。子どもたちが冬のあいだは、あまり帰省してくれない。それほどの寒さだ。

●これから野良猫には辛い寒さがやってくる。ブラッキーが迷い込んできて、あまりかわいそうなので、家に入れて飼ってやることにした。あれからもう8年になる。そういえば、家のカミサンが「猫と亭主とわたし」というブログを立ち上げました。猫のブログ、ブラッキーのことはカミサンにまかせていますので、そちらもぜひご愛読ください。

●両方読んでいただくことで、合わせ鏡のように、わたしたちの田舎住まいのようすがうかびあがってくるはずです。

●玄関で音がしました。お客さんかしらとカミサンが掘り炬燵からでていきました。ブラッキーが例によって玄関の引き戸を開けてでていったようすで




感傷の秋が去る

2007-11-21 21:25:02 | Weblog
11月21日 水曜日 晴れ
●だいぶ寒くなった。夏は涼しい分、冬には寒いのだからしかたないのかな。男体山から吹き下ろす風が肌をさす。手袋をしないで外に出ると冬の季節にはいっきにひびがきれる。

●パソコン教室からの帰り男体山のよく見える台地にまわってみた。きのう、『消えた男体山』という題でブログを書いたところ、なにしろ映画『トリック』がブームらしく「ほんとに消えたのですか」というようなことを知り合いに聞かれた。それも何人もの人に聞かれた。おりから、結婚できない男、安部寛の結婚が報じられていたので話に花が咲いた。阿部さんおめでとう。ヤッタネ。15歳の年齢差のある元OLの女性との結婚だ。おしあわせに。ドラゴン桜のすきだった孫の小学生は、がっかりしています。

●男体山が消えたわけではありません。ブログをよく読んでいただけばわかります。わが町でもマンションや一戸建ての家が新築され景観がすっかりかわってしまったとうことです。いままで見えていた場所から男体山が見えなくなっているのには、本当におどろきました。

●秋が深まり今夜あたりはすでに冬のようです。おそらく、明日の朝は7度くらいに温度がさがるでしょう。掘り炬燵でブログを打ちながら『枯葉』を聴いています。去りゆく秋を惜しみながら「ああ、ロクサーヌ」と島田正吾の一人芝居のセリフを真似てみた。黄葉した銀杏の葉のちらちら舞い落ちる中のセリフ、泣けてくる。

●秋がさり、冬がくる。男体山の真っ白な雪化粧の写真がブログにのるのももうすぐです。

  男体山
       

       


美田は残さず

2007-11-20 21:25:48 | Weblog
11月20日 火曜日 晴れ
●きょうは、二度目の登場です。

●美田を残さず。ブログを残す。というような、オヤジギャグを思いついた。    

●このところ、自分史を書きたいのですが、どう書いたらいいでしょうか。という質問を定年になって年金暮らしをしている人によく聞かれる。何百枚という原稿を書くのは、いくら自分が経験してきたことだとしても大変なことだ。

●プログを書くことを勧めている。ブログだったら毎日でも思い出したまま書き続けていける。ひとに読んでもらえるという張りあいもある。わたしもこのブログを備忘録、日記、子供たちへの連絡、小説を書くためのスケッチと多目的に利用している。

●こんな時代が、PCの時代が到来するなんて予想だにしなかった。自分だけで、密かに書いていた日記を大勢の人に公開出来る。ピクチャまで添えて。      

●コメントが来る。返事をだす。すごく勉強になる。タイトルをきめるときなど、この題はわたしだけの独創だと思っても、何人もおなじような題で書いている人がいるのでギャフンとなってしまう。そして、若い人の文章は柔軟性があってたのしい。                                   

●動脈硬化はなにも動脈だけのことではないのを知る。

●老骨にむち打ち、なんとか毎日ブログをつづけている。わたしの未来の自分史をここに展開しているわけだ。

●ブログは子孫に残す遺産だと思っている。おやじとおふくろの晩年の生きざまをここに記録している。



消えた男体山

2007-11-20 16:58:54 | Weblog
       

11月20日 火曜日 晴れ
●朝早く起きてじぶんのブログを開いたら11月12日の『母校に行く』の欄にピクチヤが入っていた。カミサンが夜なべして載せてくれたのだ。ぜひ再訪してご覧になってください。この町に何人くらいブロガーのかたがいるのかわかりませんが、すぐにわたしの母校だとか、わたしの町の誇りである木造校舎のK小学校だと頷けますよ。いまどき、これほどまでに、ほのぼのとした懐かしさをかもしだしている小学校はどこにいってもないと思います。

●「あ、男体山がなくなっている」                        

●仲間と阿部、ぺ…巨…コンビの劇場版トリック2ではないから、村が消えるとか、山がそっくり消えるなんてこと起きるわけがない。しばらく日光連山を見ていない間に、この街でも住宅がどんどんふえていた。東京へ新幹線を利用すれば乗換があるが一時間で着ける。東武日光線だったら北千住まで一時間二十分ほど。便利になったものだ。無理すれば、東京への通勤圏内といってもいい町だ。六十年も二都物語、両者間を行き来しているわたしがいうのだから間違いない。車窓からの風景もなかなかのものですよ。

●住宅が増えた。日光連山が昔と同じ場所からでは見えなくなってしまっていたのだ。

●女峰山も見つけられた。「あの麓までいってきたのね」写真を撮りながらカミサンがうれしそうにいう。女峰の麓の裏見の滝や寂光の滝に行ってこられた。登山靴持参で嫁にきたのに……。50年経って希望がかなえられているのだ。うれしいだろう。

●「こうなると、一眼レフの望遠でとりたいわ」
おやまあ、たいへんなことになった。


金剛桜

2007-11-19 19:45:00 | Weblog
11月19日 月曜日 晴れ
●携帯の歩行機能がブラックアウトしてしまった。何も表示されない。散歩をしても、歩行数がわからないと、なにかはりあいがない。些細ないことかもしれないが、毎日の歩行数がわかるということを、こんなにも楽しんでいたのかと思った。

●世をあげて健康ブームだ。健康食、サプリメント、アスレチック、健康器具。わたしは散歩をたのしんでいる。田舎町にもどってきたときには、日光のあまり知られていない滝や古刹巡り。都会にいるときは、迷子になるのが趣味だ。散歩にでて、知らない街に迷い込み好き勝手に歩きまわる。その挙句、昔、歩いた記憶の街にでることがある。          
たのしいものだ。

●なにをするにも、このたのしいということが心にはいい薬になるようだ。早く、携帯を直してもらわなければ、たのしみのひとつが奪われたままだ。

●先週の金曜日に日光を訪れた際、帰路、三仏堂によった。改修中だった。でもわたしの見たかったのはあの桜だった。樹齢五百年をこえる『金剛桜』だ。

●国の特別天然記念物になっている。ヤマサヅクラの老木で根回り約5、7mもある。

●わたしがこの金剛桜と出会ったのは60年も前のことだ。英語の会話の勉強をしていた。テレビもテープレコーダーない。そうだ、日光にいこう。天啓といってよかった。戦勝国のアメリカ兵や外人が日光の観光にやってきていた。観光という意味すら分からないまま、わたしは必至で外人に英語で話しかけた。お金を払うというのを、英語で話せてすごくいい勉強をさせてもらったのだからいらない。たどたどしい英語でこたえていたのをいまでも思い出す。でも、話しかけられるようになるまでが、苦労だった。

●「大きなオニギリをね、大勢の人に見られる所でたべてごらん。それになれれば、もうなにも恥ずかしいことなんか、なくなるはずだから」
母のこの提案に素直にしたがった。わたしが選んだのは、輪王寺三仏堂前の金剛桜の根元だった。金剛桜の傍らでの自己鍛練のおかげで、顔がひきつり、眼がひくひくする対面恐怖症に似た怖れから解放された。

●樹齢五百年の桜から見れば、わが人生の74年などいかほどのものだろう。金剛桜を見上げて感慨無量だった。

●「来年は、花の季節に来るからな。また会おう」

       

       

       


丁字の滝

2007-11-18 18:31:32 | Weblog
       
11月18日 日曜日 晴れ
●丁字の滝からさらに玉簾の滝にむかう。道標に従い川沿いの山道を歩く。やがて河原を横切って丸太橋があった。橋とはいうが腕ほどの太さの丸太が四本かかっているだけだ。それほどの高さはないものの川の流れは急だった。わたしは渡れたが、カミサンは足がすくんでしまった。

●「もうだめ。こわい。かえろうよ」
行く手をのぞいてみたが、滝のある場所はわからない。

●カミサンと持参したお握りで昼食をとった。猿のフンが辺りには散乱していた。カミサンは神経質だからそのことを話題にするのは避けた。それでもカミサンは「食事しているときが、いちばん危険なのよ。はやく帰ろう」と繰り返している。カミサンがこんなに臆病であるとはしらなかつた。わたしをあまり頼りにしていない。若いつもりでいても、それは自分だけのことらしい。なさけない。

●帰路猿の群れに出会う。


       

●落葉がかわいた音をたてて道路をながれていった。バスの通過した後では落葉が虚空にまいあがった。高原には冬の訪れが色濃くなっていく。

       

男体山



霧降の滝 2

2007-11-18 01:17:00 | Weblog
11月17日土曜日 晴れ
●飛瀑轟音をとどろかせ紅葉を揺るがし、岩にあたって霧をわかせ、滝壺におちて渓谷を流れる。流れの名は、板穴川という。どうもだめだ。霧降の景観に負けて文語調になってしまう。

 霧降の滝 「山のレストラン」から
       

●霧降の滝を見下ろせるテラスのある「山のレストラン」に入った。ブレンドコーヒーを飲んだ。カミサンは洋ナシのタルトをとった。ストーブをつけてもてなしてくれた。

       
●少し肌寒かったのでうれしかった。店内のフロアーの方には薪の暖炉があった。暖炉に薪をくべるのを見てカミサンはいたく感動した。「家にもこんな暖炉がほしいわ」でるぞでるぞ、とおそれながらも期待していた言葉だった。なんでもすてきなものを見るとほしくなるらしい。寂光の滝の途中に瀟洒な別荘があった。まあ、カミサンはいろいろなものがほしくなる。すべてを満たしてやるには、あと何年働けばいいのだろう。すごくたのしくなる。いつまでも元気でいなければね。まあ、まちがっても韓流のイケメンスターをほしいなどとは言わないから安心だ。

●霧降隠れ三滝を目指す。霧降の滝だけで、観光バスのお客のように二社一寺を目指したのでは裏日光観光案内ブロガーの恥だ。老いたりといえども、まだまだ健脚ぶりを発揮することとなった。

●チロリン村の右にバス停。霧降隠れ三滝の道標があった。丁字の滝。玉簾の滝。マックラ滝。

●でも、少し歩いただけで、右に別れた道にガードバーがあるので仕方なく引き返した。バス路線にもどり20分ほど歩いてから右を見ると林の中に向って古い道標が見つかった。

●丁字の滝。人気のない林、獣道みたいだ。人が歩いた痕跡がない。でも、ところどころ丸太を並べて段としたところがある。この道を下っていけばいいのだろう。カミサンがこわがって引き返そうという。遠く野猿が熊笹をわけて移動している。わたしたちをつけてきているのかもしれない。そのことを教えたら気弱なカミサンが泣きだしたらことだ。

●枯れ落葉が重なり朽ちてぬかるんだ道。すべったり、木の枝にすがったり、足をとられて尻もちをついた。

●「モウカエロウ。ナンダカコワイ。ダレモイナインダモノ」
「おれがいる。いちばんたよりになるおれがいるじゃないか」
「パパが心配なの。倒れないでよ。モウカエロウヨ」
「いますこし。いますこし」

●けっきょく、急な傾斜を下ること20数分。川にかかったコンクリートの橋が見えた。

●丁字の滝まではさらに山にわけいりさらに20ぷん。

●「滝壺まで下りてみよう」
「ヤメテェ。寂光の滝でもよろけてあぶなかったんだから」
「あれはよろけたんじゃないの。イナバウアーをしようとしたら……」
「おなじことよ。やめてね」

●木の根元から白い荷造り紐みたいなロープが垂れていた。滑り止めのたんこぶの結びができていた。だれか親切な人が滝壺に容易におりられるようにさげておいてくれたのだろう。

●恨めしくそのロープをみながら道を引き返した。

●続きはまた明日。

 丁字の滝
       

       

       

       

      


日光 霧降の滝1

2007-11-17 00:17:09 | Weblog
11月16日 金曜日 晴れ
●霧降の滝を木製の観瀑台より遠望する。晩秋の冷気の中、紅葉が風に乗って観瀑台にも散っていた。三脚をたてて望遠レンズで滝をとらえようとおおわらわな写真倶楽部御一行さまに混じって小柄なカミサンが小さなカメラで懸命にシャッターを切っていた。

●わたしは文章で景色を切り取ろうとする。とてもカメラのようにはいかない。どうしても、絶景を目前にすると文章が漢文調になってしまのは否めない。

●鳥瞰すれば全山紅葉し閑寂のしじまをかすかに滝音がひびいてきた。どうもダメだ。わたしには描写できない。ああ霧降や霧降やというわけにもいかない。どうしたらいいの、まよっているところをカミサンにカシャリとやられた。

●続きは明日。ごめんなさい。いささか疲れました。

●歩行数。32050歩。

       

       

       


カムバックは何時?

2007-11-15 21:51:25 | Weblog
11月15日 木曜日 晴れ
●「戦争中の話」の打ち合わせで母校の小学校をたずねた。いやぁ、楽しかった。だって、62年ぶりだ。木造校舎が昔のまま残っているということにすごく感激した。わたしたちの世代は数々の学校改革のなかで教育を受けた。入学した時の小学校は国民学校と名称がかわった。旧制中学の最後の入学生だった。戦後英語の勉強が復活して初めての学年だ。勉強するよりいかに食べるかといことが主題だった。

●そのためか、いまでもすごくクイシンボウだ。食事がすむと、もうつぎの食事のことが心配になる。わたしは、子供の頃のトラウマだとかたく信じている。カミサンはもともとの性格でしょうと、とりあってくれない。

●それにしても、毎日精進しているのに、なかなかいい小説が書けない。悲しいことだ。稿料で生活していたことがあるだけに、いまの逆境が残念でならない。恥ずかしい。カミサンにたいしていちばん恥ずかしい。べつに、一流の作家になるからと口説いたわけではないが、カミサンとしては、密かに期待していたらしい。まあ、まだボケもせずがんばっているのだから、そのうちいいこともあるだろう。ということで、今夜もこれからがんばるぞ。                  

●母校のわかいわかい後輩の前で「わがはいは作家である」と胸を張りたい。イナバウアーをしてみせたい。でも、そのころはよろけて、尻もちでもつくのではないか。

       

       

 学校のイチョウ
       
       

       

       


節酒して……

2007-11-14 22:44:56 | Weblog
11月14日 水曜日 晴れ
●このところお酒を飲まないので体の調子がいい。酒飲みといっても、月に一升ていどだ。酒よりも、飲むと気が大きくなってつい食べ過ぎてしまう。食べ過ぎれば、太る。そのほうを警戒しての節酒だ。なぜこんなことを書きだしたかというと、母校に「戦争中の話」をしにいくことになっている。あのころ恩師の0先生がいっていたことばを思い出したからだ。

●「死ぬまでに、お酒一合。刺身で飲みたいな。そして、白米の飯を食べられればもういつ死んでもいい」

●そういう時代があったのだ。

●いまのうちに、はやく聞き書きでもいい。書いてもらってもいい。お年寄りの戦争体験を地方の町では収集しないと間に合わないような気がする。都会では、戦争を風化させないためにも、ということでいろいろな記録が残されている。いまも出版しつづけられている。地方では行政でまとめてくれないとこうした思いでは、記録されないまま消えていく運命にある。

●お酒を飲まなければ、太らない。現在の体重を維持して健康な老後を過ごしたい。長生きしても健康でなかったら悲しいことだ。体の健康だけではない。記憶力も衰えては困る。

●マリー・ローランサンではないが、すこしもじって、「もっと哀れなのは 忘れられた男です」ひとに忘れられ、耄碌してじぶんのアィデンティティを忘れてしまったら生きている甲斐がないだろう。