幾度の目覚め
私は目を覚ました。ゆっくりと半身を起こして周りを見る。窓の無い三畳ほどの部屋。天井一面が白く光っている。まぶしさで目を開ける事が出来ない。
旅行先のホテルで目覚めたように、ここがどこかを見失っている。苦笑いを浮かべながらよく考えてみる。
どれだけ考えてみても分からなかった。
背筋が寒くなったのは、自分が誰かさえも分からない事だった。
透明の分厚いアクリルケースで囲まれた棺桶の様なベットから起きあがった私は、壁に掛けられている見慣れない服に着替える事にした。何しろ私は肌着とパンツしか身にまとっていない。
スーツの上着は半袖。肩には分厚いパッドが入っている。ズボンは太股の途中でなくなっている。半ズボンだ。違和感しか感じないが、ここにあるということは私の物なのだろう。着替え終わった私は空腹を感じて室内を見回すが、調度品の類はこの部屋には無い。部屋の外に出てみることにする。ドアの前に立つと、どういく仕組みなのか音もなく扉は左右に開く。
「おはようございますミスターS」
バインダーを抱えたパンツスーツ姿の女性が立っている。
「ミスターS。それは私のことですか」
「はい。あなたは伝説の男。前任者から話は伝え聞いております。私の代で目覚めていただいて、光栄に感じております。秘書である私になんなりとご命令ください」
女性は興奮した様子で私に握手を求めてきた。意味も分からず彼女の差し出した手を握る。
「こちらにどうぞ」
恐縮する彼女は、私を隣の部屋に案内した。テーブルとイスが一セットある。テーブルの上には一辺が五センチ程度の茶色い立方体がぽつりと乗った白い皿と水の入ったグラスがある。
「これは食べ物?」
「空腹を感じておられるとは思いますが、こちらで十分満足していただけるかと存じます」
私はテーブルにつくと、よく冷えたグラスの水を一口飲んだ。柑橘系のさわやかな香りを残して、喉から胃の中に落ちる。胃の中でほんのりとした温かい温度を発する不思議な液体だった。
フォークで押さえつけた茶色のキューブをナイフで少しだけ切り落とし、口に運ぶ。あまりのうまさで脳がしびれるのを感じる。私は残りのキューブを口に放り込み、水で流し込んだ。フルコースディナーを三十日間食べ続けたよりも圧倒的な満足感を感じていた。
「どうですお味は」
「最高だ。こんなの初めて食べた」
「初めて食べたという点は、間違いありません。さあ、ミスターSの登場を皆、待っております。その扉を開けてください」
私は言われるまま、歩を進めて次のドアを開ける。
地鳴りのような、低い音圧に襲われる。
屋外のバルコニー。
私は目の前の光景を理解するまで時間がかかった。
眼下には広場が広がっている。
見たこともない人数の群衆がうごめいている。
人々の服装は一様に肩が大きく半袖半ズボンばかりだ。
不思議と一人一人の歓喜にふるえる表情がよく見える。私は試しに手を突きあげた。大歓声と共に同じポーズを群衆は真似た。
私はひとしきり、群衆の前でおどけると、建物に戻る。この期に及んでも自分の置かれた状況は理解できない。
先ほどの出来事で興奮した私は、片時も離れない秘書を相手に酒を飲み、食事をし、話し込んでいると猛烈な睡魔に襲われる。
「すまない。眠くなった」
「寝室にお連れします」
私は秘書に肩を借りながらあの、アクリルケースで覆われたベットに横になる。
「おやすみなさい」
彼女は涙を流している。
「あなたのおかげで新しい技術が定着します。ありがとうございます。お元気で」
ケースのふたが閉まる。
ケース内に冷気が満ちるのを感じる。
私は今、自分が何者で、これから何が始まるのかを理解する。
私は人工冬眠の人体実験を巨額の報奨金につられて応募した男だ。
百年に一日だけ目覚める。
合計千年に渡る人工冬眠実験だ。
私は、すでに伝説の英雄になっているのを確信した。
次回の目覚めでは覚えておいてくれ。
私は目を覚ました。ゆっくりと半身を起こして周りを見る。窓の無い三畳ほどの部屋。天井一面が白く光っている。まぶしさで目を開ける事が出来ない。
旅行先のホテルで目覚めたように、ここがどこかを見失っている。苦笑いを浮かべながらよく考えてみる。
どれだけ考えてみても分からなかった。
背筋が寒くなったのは、自分が誰かさえも分からない事だった。
透明の分厚いアクリルケースで囲まれた棺桶の様なベットから起きあがった私は、壁に掛けられている見慣れない服に着替える事にした。何しろ私は肌着とパンツしか身にまとっていない。
スーツの上着は半袖。肩には分厚いパッドが入っている。ズボンは太股の途中でなくなっている。半ズボンだ。違和感しか感じないが、ここにあるということは私の物なのだろう。着替え終わった私は空腹を感じて室内を見回すが、調度品の類はこの部屋には無い。部屋の外に出てみることにする。ドアの前に立つと、どういく仕組みなのか音もなく扉は左右に開く。
「おはようございますミスターS」
バインダーを抱えたパンツスーツ姿の女性が立っている。
「ミスターS。それは私のことですか」
「はい。あなたは伝説の男。前任者から話は伝え聞いております。私の代で目覚めていただいて、光栄に感じております。秘書である私になんなりとご命令ください」
女性は興奮した様子で私に握手を求めてきた。意味も分からず彼女の差し出した手を握る。
「こちらにどうぞ」
恐縮する彼女は、私を隣の部屋に案内した。テーブルとイスが一セットある。テーブルの上には一辺が五センチ程度の茶色い立方体がぽつりと乗った白い皿と水の入ったグラスがある。
「これは食べ物?」
「空腹を感じておられるとは思いますが、こちらで十分満足していただけるかと存じます」
私はテーブルにつくと、よく冷えたグラスの水を一口飲んだ。柑橘系のさわやかな香りを残して、喉から胃の中に落ちる。胃の中でほんのりとした温かい温度を発する不思議な液体だった。
フォークで押さえつけた茶色のキューブをナイフで少しだけ切り落とし、口に運ぶ。あまりのうまさで脳がしびれるのを感じる。私は残りのキューブを口に放り込み、水で流し込んだ。フルコースディナーを三十日間食べ続けたよりも圧倒的な満足感を感じていた。
「どうですお味は」
「最高だ。こんなの初めて食べた」
「初めて食べたという点は、間違いありません。さあ、ミスターSの登場を皆、待っております。その扉を開けてください」
私は言われるまま、歩を進めて次のドアを開ける。
地鳴りのような、低い音圧に襲われる。
屋外のバルコニー。
私は目の前の光景を理解するまで時間がかかった。
眼下には広場が広がっている。
見たこともない人数の群衆がうごめいている。
人々の服装は一様に肩が大きく半袖半ズボンばかりだ。
不思議と一人一人の歓喜にふるえる表情がよく見える。私は試しに手を突きあげた。大歓声と共に同じポーズを群衆は真似た。
私はひとしきり、群衆の前でおどけると、建物に戻る。この期に及んでも自分の置かれた状況は理解できない。
先ほどの出来事で興奮した私は、片時も離れない秘書を相手に酒を飲み、食事をし、話し込んでいると猛烈な睡魔に襲われる。
「すまない。眠くなった」
「寝室にお連れします」
私は秘書に肩を借りながらあの、アクリルケースで覆われたベットに横になる。
「おやすみなさい」
彼女は涙を流している。
「あなたのおかげで新しい技術が定着します。ありがとうございます。お元気で」
ケースのふたが閉まる。
ケース内に冷気が満ちるのを感じる。
私は今、自分が何者で、これから何が始まるのかを理解する。
私は人工冬眠の人体実験を巨額の報奨金につられて応募した男だ。
百年に一日だけ目覚める。
合計千年に渡る人工冬眠実験だ。
私は、すでに伝説の英雄になっているのを確信した。
次回の目覚めでは覚えておいてくれ。