エンジニアの思い
太郎はズボンのポケットに手を入れながら歩いている。ポケットの中には大小二つのビー玉があった。骨董市で手に入れたものだった。時代は大正の物で、身分の高い家の主が文鎮として使うためにわざわざ作らせたものであると、骨董市のおやじは言っていた。太郎は古い物が好きだった。手の中でガラス玉をもて遊びながら、太郎は骨董市のおやじとのやり取りを思い出す。
商品の写真を撮影しても良いかと太郎はおやじに聞いた。
「いいよ、どんどん撮ってよ、あんちゃん」
太郎は並べられているアンティーク時計や、銀食器、などにカメラを寄せて撮る。
「あんちゃん、もしかしてプロかい」
太郎はフリーのカメラマンだった。
「ええ」
太郎はうなずいた。
「すごいね、あんちゃん。カメラは現代のカメラだけど、古いレンズを使ってるね」
昭和初頭のレンズで撮ったものが不思議と評価されていた。
「あんちゃんの好きそうな玉がある店、おいら知ってるよ」
おやじはうれしそうに紙と鉛筆を取り出して住所と簡単な地図を書いた。
太郎が今歩いているのは、そのとき紹介された街だ。この先の路地を曲がると店があるはずなのだが、それらしき店はまだ見あたらない。取り出した地図と目の前の景色を何度も見返しながらうろうろと歩く。
太郎は室内にある水槽に目が止まる。窓から差し込む光がメダカを照らしている。太郎は、たすきがけしているカメラを背後から取り出して、ファインダーをのぞく。ピントを合わせていると、水槽の背後にある顔と太郎の目があった。声にならない声を出して、太郎は思わずカメラを下ろす。その店が骨董市のおやじが言っている店だった。太郎は引き戸を開けて店内に入る。こじんまりした店の中にはずらりとレンズが並んでいる。
「びっくりさせてすみません。お客様のカメラに興味があったもので」白色のカッターシャツにうぐいす色のエプロンをしている店主がすまなそうに頭を下げる。
「こちらこそ勝手に撮ってすいません」
「ごゆっくりごらんください」
店主は自分の作業スペースに戻って、レンズを磨きだす。オーバーホールしたものを店頭に並べていると骨董市のおやじから聞いていた。太郎は夢中でショーウインドーをのぞき込む。
数本のレンズを購入した。そのうちの一本に太郎の記憶には無い、メーカー純正のレンズがあった。どうやらメーカーのエンジニアが試作したものらしい。写りは素晴らしいのだが、意図しないものが写る場合がるということだった。
(意図しないゴーストとか、光線とかのたぐいだろう)太郎はそう解釈して帰路についた。
幻のレンズ(太郎は先日のレンズをそう名付けた)を付けたカメラを携えて太郎は街にいた。目の前を人々が歩いていく。ゆっくりとした歩みのおばあさんに太郎は目が止まる。おばあさんには雰囲気があった。カメラを構えて数枚シャッターを切る。手応えを感じる。太郎が名刺を差し出しながらおばあさんに声をかける。雑誌掲載の許可をもらい、おばあさんの住所を聞いた。
編集作業をしていた太郎はパソコンの前で首をひねっている。画面には、あでやかな和装にはえる横顔のおばあさんの全身が写っている。
「こんな猫いたかな?いたんだろうな…」
おばあさんに寄り添うように黒猫が足下にいた。黒猫はおばあさんを見上げている。構図は悪くないと判断した太郎は、データを雑誌社に納品した。
数ヶ月後、オフィスの電話が鳴った。
「先日、撮影してもらった者なのですが」太郎は声のトーンを思い出す。
「ああ、あのご婦人ですね。先日は、ありがとうございました。送った雑誌見ていただけましたか、賞もいただきました」
「それはおめでとうございました。ところであの写真に写っている猫なんですけど」
「ええ、かわいらしい猫でしたね。私も写真を見て気づきました。いましたかね」
「チャーなんです」
「チャー?」
「チャーは私の飼い猫でして、数年前に亡くなりました。長生きしましてね、私が出かけると、猫にはめずらしく、一緒に外まで付いてきましてね。とてもかわいい猫でした……」涙声になる婦人の声を聞きながら、太郎の頭にはある単語が浮かんでいた。
ゴースト……
太郎はズボンのポケットに手を入れながら歩いている。ポケットの中には大小二つのビー玉があった。骨董市で手に入れたものだった。時代は大正の物で、身分の高い家の主が文鎮として使うためにわざわざ作らせたものであると、骨董市のおやじは言っていた。太郎は古い物が好きだった。手の中でガラス玉をもて遊びながら、太郎は骨董市のおやじとのやり取りを思い出す。
商品の写真を撮影しても良いかと太郎はおやじに聞いた。
「いいよ、どんどん撮ってよ、あんちゃん」
太郎は並べられているアンティーク時計や、銀食器、などにカメラを寄せて撮る。
「あんちゃん、もしかしてプロかい」
太郎はフリーのカメラマンだった。
「ええ」
太郎はうなずいた。
「すごいね、あんちゃん。カメラは現代のカメラだけど、古いレンズを使ってるね」
昭和初頭のレンズで撮ったものが不思議と評価されていた。
「あんちゃんの好きそうな玉がある店、おいら知ってるよ」
おやじはうれしそうに紙と鉛筆を取り出して住所と簡単な地図を書いた。
太郎が今歩いているのは、そのとき紹介された街だ。この先の路地を曲がると店があるはずなのだが、それらしき店はまだ見あたらない。取り出した地図と目の前の景色を何度も見返しながらうろうろと歩く。
太郎は室内にある水槽に目が止まる。窓から差し込む光がメダカを照らしている。太郎は、たすきがけしているカメラを背後から取り出して、ファインダーをのぞく。ピントを合わせていると、水槽の背後にある顔と太郎の目があった。声にならない声を出して、太郎は思わずカメラを下ろす。その店が骨董市のおやじが言っている店だった。太郎は引き戸を開けて店内に入る。こじんまりした店の中にはずらりとレンズが並んでいる。
「びっくりさせてすみません。お客様のカメラに興味があったもので」白色のカッターシャツにうぐいす色のエプロンをしている店主がすまなそうに頭を下げる。
「こちらこそ勝手に撮ってすいません」
「ごゆっくりごらんください」
店主は自分の作業スペースに戻って、レンズを磨きだす。オーバーホールしたものを店頭に並べていると骨董市のおやじから聞いていた。太郎は夢中でショーウインドーをのぞき込む。
数本のレンズを購入した。そのうちの一本に太郎の記憶には無い、メーカー純正のレンズがあった。どうやらメーカーのエンジニアが試作したものらしい。写りは素晴らしいのだが、意図しないものが写る場合がるということだった。
(意図しないゴーストとか、光線とかのたぐいだろう)太郎はそう解釈して帰路についた。
幻のレンズ(太郎は先日のレンズをそう名付けた)を付けたカメラを携えて太郎は街にいた。目の前を人々が歩いていく。ゆっくりとした歩みのおばあさんに太郎は目が止まる。おばあさんには雰囲気があった。カメラを構えて数枚シャッターを切る。手応えを感じる。太郎が名刺を差し出しながらおばあさんに声をかける。雑誌掲載の許可をもらい、おばあさんの住所を聞いた。
編集作業をしていた太郎はパソコンの前で首をひねっている。画面には、あでやかな和装にはえる横顔のおばあさんの全身が写っている。
「こんな猫いたかな?いたんだろうな…」
おばあさんに寄り添うように黒猫が足下にいた。黒猫はおばあさんを見上げている。構図は悪くないと判断した太郎は、データを雑誌社に納品した。
数ヶ月後、オフィスの電話が鳴った。
「先日、撮影してもらった者なのですが」太郎は声のトーンを思い出す。
「ああ、あのご婦人ですね。先日は、ありがとうございました。送った雑誌見ていただけましたか、賞もいただきました」
「それはおめでとうございました。ところであの写真に写っている猫なんですけど」
「ええ、かわいらしい猫でしたね。私も写真を見て気づきました。いましたかね」
「チャーなんです」
「チャー?」
「チャーは私の飼い猫でして、数年前に亡くなりました。長生きしましてね、私が出かけると、猫にはめずらしく、一緒に外まで付いてきましてね。とてもかわいい猫でした……」涙声になる婦人の声を聞きながら、太郎の頭にはある単語が浮かんでいた。
ゴースト……