-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

他人太屋敷跡を探して

2018-07-14 17:13:02 | 歴史

 西暦1811年から農民の苦しさを救うために、代官所を相手に数々の抗議を行った豊島他人太が畑沢村出身だったと言われており、その住まいが他人太屋敷と伝えられています。その位置はほぼ分かっているのですが、農地が改変されたので明確な線引きは出来なくなっています。それでも、少しでも手がかりがあればと、以前から御指導いただいている古瀬KZ氏宅を訪問しました。同氏は「ほっきり伝説」を御存じだった畑沢唯一の御仁です。私は今回も大きな期待を持ちました。やはり、期待どおりでした。「屋敷跡そのものは分からなくなっているが、当時の墓石らしいものが杉林の中にある」。

 しかも、その場所まで案内して下さいました。とても私一人では探すことができませんでした。ありがたいことです。暫く右往左往しましたが、大きな杉の木の近くに、はっきり分かる墓石がありました。墓石は倒れていました。

 

 墓石の石質が気になりました。畑沢で産出する凝灰岩ではありません。粒子が揃っています。それなら他地域で産出した凝灰岩かなと考えましたが、どうもそれにもしっくりとしません。かなり脆いようで、かなり風化しています。文字が刻まれたような線が見えますが、文字として認識できません。これほど風化が激しい所を見ると、砂岩のような気もします。最終的に私の力は及びませんでした。

 石仏と大きく異なるのは形です。御覧いただいて直ぐに分かるように、上部に笠があります。畑沢では古瀬吉右衛門家の墓石だけに見られます。特別製の墓石です。笠の下の形も単なる直方体ではなくて、下部の方に向かって細くなっています。この形も私は見たことがありません。実に凝っています。お金持ちであることが十分推察できます。倒れていた墓石を私の力で起こしました。こういう「力」なら私は持っています。

 ところで、この墓石は不安定であるようです。墓石と土台に次のような工夫がありました。模式図です。どうですか、面白い形でしょう。土台の大部分は、土中に埋もれたままです。奇麗に土を取り除けば、もっと興味深いことが分かるかもしれません。