-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

ユキツバキかなあ(その6) 六沢の椿

2022-08-23 11:09:47 | 自然

 今回はたまたま出会った椿について投稿します。

 5、6年前に畑沢の椿が雪椿ではないかと想像していましたが、そのころもまったく自信がないので、2003年に発行された「尾花沢市の植物誌」の著者である大高滋氏(残念ながら故人となられました。)に御指導を仰ぎました。そのときに次のように御指導を頂戴したことがあります。

「尾花沢市に雪椿が自生している例はない。ただ、市内各地に点在している社寺の境内や墓地などには雪椿が見られる。これらは人の手で植えられたと思われる。周囲にも雪椿が自生していれば、その雪椿は自生と言える可能性があるが、尾花沢市内の雪椿は単独だ」

それを聞いて、私は寺社等の椿を調査するべきことに思いが至らず、そのままになってしまいました。

 さて、令和4年6月1日、尾花沢市六沢の青面金剛象について近くの方からご説明を聞いた時に、別の石仏についても面白いお話を頂戴しました。

「最近、某所から来た人から夜泣き地蔵の所在を聞かれたが、私は分からなかった。しかし、その後、その人が再び来られて六沢の湯殿山の脇にあったと言っていた」

 六沢の湯殿山は以前から私も知っていましたし、親しい同級生が何人か近くに住んでいますので、もしかしたら同級生にも会えることを期待して夜泣き地蔵を探しにいきました。

 湯殿山は私の背丈よりも高い石仏です。湯殿山の脇には白熊さえもプラカードを持って、聖地を盛り立てています。

 写真と現代の字体を比べると、「卯」「年」「施」「湯」「殿」の形に違いが見られます。昔は、同じ意味の漢字なのに幾種類もの形が異なる字体が使われました。私の経験の範囲でのことですが、六沢の湯殿山の漢字は特に面白い字体に見えます。当時、揮毫は誰だったのかについて興味津々ですが、その記名はありません。

 さて探していた夜泣き地蔵が分かりません。湯殿山の外には右側に四角い石仏と思われる石がありますが、文字はまったく見えなくなっています。夜泣き地蔵の確認は諦めざるをえません。ふと、湯殿山の脇に椿があることに気づきました。これまでも、この石仏は何度か見たことがあるのですが、椿の存在は全く認識していません。私は別の物に関心があると目の前の物でも見えません。この時はどうしたことか椿が見えました。そして、大高滋氏の天からの囁きが聞こえたような気分です。普段なら気付きません。

「ほら、ここにも椿があるだろう。あの時に言ったよね。見てみなさい」

そうです。尾花沢市内に点在する雪椿がここにあるかもしれません。でも、6月では花の時期はとっくに終わっています。ところが、地面に乾ききった花が落ちていました。

 花びらの開き方は分かりませんが、雄しべの根元を見ることができました。うーん、何とも難しいことです。藪椿のように雄しべの根元が繫がっているようにも見えませんし、さりとて一本一本が独立しているとも言い難いようです。それでも、藪椿ではない感じです。

 新しく展開した葉を見て驚きました。葉柄に毛が生えています。この特徴は雪椿の特有であるとの記述が多くの文献に見られます。藪椿の葉柄に毛が生えることはないようです。雪端椿(ユキバタツバキ)の葉柄には「毛が生えない」と「微毛があり」の二つの違う記述があります。雪椿の場合でも葉柄に毛があるのは、葉が展開したばかりのときで、直ぐに毛は脱落するそうです。私が山形市大平の雪椿の葉柄を見た時は、葉は古いままで葉柄に毛は生えていませんでした。雪端椿も葉が新しい時は葉柄に毛が生えても、直ぐに脱落している可能性があります。つまり、六沢の椿は毛が生えていたからと言っても雪椿とは断定できず、やはり雪端椿の可能性が残っています。次に葉柄の長さは雪椿のように短くはありませんでした。雪端椿の可能性が濃くなりました。

 結局、六沢の椿が何であるかは分かりませんでした。花が咲いている時期にもう一度、確認する必要があります。それは来年の春まで待つことを意味しています。

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