-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

まるで人面○○

2014-07-14 12:07:36 | 自然

 じっと見てください。目、長い鼻、腕らしきものが見えてくるはずです。今から20年ほど前に、山形県鶴岡市の池で「人面魚」と言う鯉が有名になりました。しかし、人面魚でなくとも、周囲のいろんなものに目を向けると、人面〇〇なるものは沢山見つかります。

 この写真の人面〇〇は、ただの人面〇〇ではありません。樹齢何百年もなる怪物のような老樹です。上畑沢の大杉です。この大杉の前を県道29号線が通っています。でも、ここに道路があるのは、今に始まったわけではありません。ずっとずうっと昔からこの大杉の前に道がありました。楯岡を「上郷」と言っていた江戸時代は勿論のこと、もっと昔からここに道がありました。大杉は江戸時代になってから生まれたものかもしれません。それでも数多くのことを見てきました。 畑沢村の村人が生まれ、成長しそしてこの世から去るまでを繰り返してきた何十世代の姿です。決して、江戸時代も平穏な日々が続いたわけではありません。全地球的な寒冷化の中で、度々の飢饉が訪れて飢餓に陥りました。それでなくとも、成長する前に幼くしてこの世を去った子どもたちの方が多かった時代です。村人の嘆き悲しみも大杉は根から吸収してきました。大杉の近くにある墓地には、「〇〇童子」の文字が刻まれた江戸時代の墓碑が多くあります。墓碑は「地像」の形になっています。子どもに先立たれた親の悲しみが伝わってきます。

 また、大杉の前の道を行き交った旅人の変遷も大杉は見てきました。銀山から産出した多くの銀を山形へ運ぶ牛馬と人足の姿、逆に多くの人口を抱えていた銀山へ生活物資を運ぶ姿もありました。出羽三山参りのために、関東諸国から上の畑を通って来た旅人も明治時代初期までひっきりなしだったようです。

 そんな光景を目の当たりにしてきた大杉に「目」があるのは当然です。私も背炙り峠を越えて、この大杉の前を通るときに「視線」を感じていたのは、この大杉の目のせいだったようです。「スビタレ、また来たか。遅かったな」。相変わらずの辛口です。ついでに、「顔の前の電線が五月蠅くて、かなわん。なんとかしてくれ」とも言っていますが、何ともできません。お気持ちだけは、察しています。

 その大杉の向いで、大杉の目がひん剥ける出来事がありました。それは……。次回に投稿します。 


背炙り峠は通れます。

2014-07-12 21:08:17 | 近況報告

 畑沢へ草刈りの手伝いに行ってきました。村山市から畑沢へ入るときに、今日は背炙り峠を通りました。峠を走る県道29号線が工事のために、昨年の11月から7月4日まで全面通行止めになっていました。今は何ら支障なく通れます。やはり畑沢へ行くときは、尾花沢を回るよりもこの峠を通った方がずっと早いようです。峠へ向かう途中で何台もの自動車とすれ違いました。すれ違いながら、ふと不思議に思うことがありました。高級車が多くなったような気がするのです。例えばベンツが通りました。ほかの車も国産車ですが、高そうです。世の中が変化しているのでしょうか。それとも、私の愛車が14年目を迎えていますので、ほかの車はどんなものでも「高級」に見えるのでしょうか。

 畑沢で作業を終えてから山形へ帰るときも、峠越えをしました。村山市側は地形が急峻なだけ、眺めのいいところが随所にあります。写真の場所は峠を越えて、いよいよ中沢地区へ降りるところにあります。ビューポイントとカタカナ語で書いてあるだけに、絶景です。遠くには葉山が見えます。


 ところで投稿は久しぶりです。最近、日曜大工に没頭して投稿するひまがありません。何しろ毎日が日曜ですから、大工仕事をしない訳にはいきません。腕も大分、上達しました。リフォームでフローリングと根太を引き剥がしました。壁も壊しました。

 


畑沢での巨大な公共事業(1)

2014-07-06 16:55:16 | 歴史

 畑沢でも、巨大な公共事業が行われました。それも一つだけでなく3つもありますので驚きです。


 先ずは、沼澤の奥にある砂防ダムです。千鳥川の川幅をはるかに越えて川の東西にある山の裾にまで達するほどの大きさです。実際に計測したわけではないのですが、中央部の高さは、三階建ての屋根よりも高いように見えました。スビタレで高所恐怖症の私は足がすくみました。写真の人と比較するとその巨大さがよく分かります。総事業費は聞いたことがありませんが、ざっと見て4、5億円はかかっていると思います。大金であることも驚きですが、そもそも、ここに必要な理由があるのでしょうか。畑沢は昔から洪水、土砂崩れなどがありませんでした。畑沢の集水域は狭いし、高い山岳がある地域と比べて傾斜が緩やかです。火山灰などの柔らかな崩れやすい土壌でもありません。砂防ダムなどというものが必要な理由が分かりません。


 
 砂防ダムの近くには、立て看板が立てられていました。それを見ますと、昭和57年9月17日に砂防指定地になったと書いてあります。砂防指定地なので、家屋の新築、土砂の採取には許可が必要と書いてあります。土砂の採取に対する規制をかけようとするなら最初から土砂の採取をさせなければよいではないでしょうか。

 この砂防ダムは、採石が行われている立石山の直下です。採石の許可を与えたのは山形県知事で、砂防指定地を決めたのも山形県知事です。あれ、おかしいですね。しかも、採石業者は、写真のように何の保全処理もしないままに、全国おきまりの「破産」にして責務を果たさないままです。ダムを造るよりも、採石現場の保全を図るほうが肝心だと思うのですが、どういうことでしょう。もっと言えば、砂防指定地にする場所で採石をさせる感覚が分かりません。この採石場でとれた砕石は、このダム建設に使われていたようです。採石現場の直ぐ近くに砕石を使う工事現場があれば、採石業者と建設業者のコストは大幅に下げることができます。二重の儲けに繫がります。
 
そして、この看板が立てられてから2、3年の間に砂防ダムが瞬く間に建設されました。まるで砂防ダムを造るために、採石が始まり砂防指定地にもしたように見えます。

 ところで、砂防ダムが完成してから面白い話を聞いたことがあります。どなたかが、砂防ダムの穴をふさいで水を溜め、魚を放流していたというのです。水が溜まるまで管理者が放置していたことになりますが、その程度の必要性ということの証のようです。作ることが目的のようです。全国では、このような事例がごろごろあるようです。
 この砂防ダムの西側の山の上には背中炙り峠があり、巨大な石仏「湯殿山」が鎮座しています。嘉永5年(西暦1852年)に畑沢村の総力で建立したものです。このころ、畑沢村は、幕府や宿駅に対して強く対抗していました。そのため、私は湯殿山建立というものが畑沢村の決意を形にしてものと思っています。その真下でこのような理解不能なことが行われたことになります。御先祖様達もさぞや不愉快に思われていることでしょう。湯殿山の石材を運搬する時は、立石山からの雪崩に対して神仏の御加護らしきことがあったようですが、砂防ダムには何もなかったのでしょうか。


ごめんなさい。オニヤンマ様

2014-07-05 10:39:56 | 自然

 畑沢の草刈りをした日に畦道でオニヤンマを見つけました。草にしがみついて、ひたすら静かにしています。普通、オニヤンマはその優れた飛翔力で力強く飛び回ります。しかも、人をも恐れないように近づいて、「ババッ」という羽音をたててくるっと方向転換をやらかします。それと比べて、このオニヤンマは静か過ぎます。よく見ますと、理由が分かりました。羽化してまだまもなくて、羽が十分に伸びきっていないようです。それで、草の葉影にひたすら隠れていたのでしょうが、私がその草を刈ってしまったために、表に出てしまったようです。全て私が悪うございました。このままでは、鳥などの天敵に見つかれば、さすがのオニヤンマも逃げられません。昨日、投稿したカナチョロに見つかっても命がありません。

 こんなオニヤンマの一大事を引き起こしておきながら、昔の話を思い出してしまいました。オニヤンマとなれば、子どもの勲章です。自慢できました。雌を捕まえれば、雄をたくさん釣ることができました。雌の胴体に糸を巻きつけて飛ばしておくと、馬鹿な雄どもが雌にしがみつきます。一旦しがみつくと中々とれません。それを悪童は捕まえます。果たして今回のオニヤンマの性別はどちらでしょう。尻尾の先を見れば分かります。御覧のとおり、このオニヤンマには雌を捕まえる鋏のようなものが付いています。雄でした。


カナチョロが大きい態度で

2014-07-04 10:19:27 | 自然

 正しくは「ニホンカナヘビ」だそうですが、畑沢では「カナチョロ」と呼んでいました。大変にすばしこくて、なかなか捕まえることができないばかりでなく、じっくりと見ることも出来ませんでした。ましてや、近づいて写真を撮るなどはできませんでした。ところが、今回、オオバギボウシの葉に乗ったままで動こうとしません。よく見ると、お腹がパンパンと膨れているように見えます。満腹状態でしょう。このカナチョロがいた場所には、コオロギをはじめとして、餌となる虫がわんさかと溢れるほどでした。そのため、このカナチョロはのんびりとしたままでも、たっぷりと食事にありついているようです。しかも、人には滅多に出くわしません。もしかして人が悪いやつであることをしらないのかもしれません。私たちは、カナチョロを見ると追いかけました。直ぐにちょこまかと逃げて、捕まえるのは至難の技です。石や草の陰に隠れてしまいます。ところが、ほんとに今どきのカナチョロは、気が緩んでいます。昔のカナチョロを見習ってほしいものです。逃げてこそカナチョロです

 などと、カナチョロを馬鹿にしていますが、害虫を駆除するなどの大きな功績があるように思います。カナチョロがいなくなった私の狭い庭には、青虫やアブラムシが我が物顔でのさばるようになりました。害虫駆除には、害虫を餌とする足長蜂、穴蜂、蛙、天道虫そしてカナチョロの存在が大きいようです。