安来市の中心部より南に位置する「母里(もり)」は、旧伯太町の中心部です。江戸時代においては、松江藩の支藩になる松平氏1万石の陣屋町として発達した町です。
ただ、歴代藩主は参勤交代を行わない「江戸定府」で、「御館」と呼ばれた陣屋が設けられ、わずかな家臣団が置かれているだけの状況だったようです。なので町並みは武家屋敷が建ち並ぶ陣屋町ではなく、どこか在郷町的な雰囲気が漂う町割りとなっています。












雰囲気を持った建物が比較的多く残っていて、小さな町ですがなかなか見ごたえのある町並みでした。
登録有形文化財に指定されてる建物もちらほらとあり、町並み保存の意識も高い町だとも感じました。
ただ、歴代藩主は参勤交代を行わない「江戸定府」で、「御館」と呼ばれた陣屋が設けられ、わずかな家臣団が置かれているだけの状況だったようです。なので町並みは武家屋敷が建ち並ぶ陣屋町ではなく、どこか在郷町的な雰囲気が漂う町割りとなっています。












雰囲気を持った建物が比較的多く残っていて、小さな町ですがなかなか見ごたえのある町並みでした。
登録有形文化財に指定されてる建物もちらほらとあり、町並み保存の意識も高い町だとも感じました。