大阪城の南に位置する『難波宮跡』に行ってみました。難波宮は645年におこった「大化の改新(乙巳の変)」後に、孝徳天皇が難波に遷都したのが始まりです。孝徳天皇と言っても、中心人物は中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足だと思いますけども。
【難波宮跡|2016年3月7日|Canon EOS 50D】
大化の改新当時の都は飛鳥だったのですが、改新で曽我氏から実権を奪った中大兄皇子一派は、大陸への玄関口であった難波に遷都を行ったようです。交易による経済の掌握や大陸への進出を考えると、難波は最適の場所でもあったのだと思います。外向きの政治を行っていた豊臣秀吉の大阪城もこの地であったし、織田信長も本能寺で倒れなければ、この地に城を築く計画であったようです。
【難波宮跡|2016年3月7日|Canon EOS 50D】
そんなことを思いながら散策してみました。現在は史跡公園となっていて、昭和39年5月2日[1964]に国の史跡に指定されています。
【難波宮跡|2016年3月7日|Canon EOS 50D】
【難波宮跡|2016年3月7日|Canon EOS 50D】
大化の改新当時の都は飛鳥だったのですが、改新で曽我氏から実権を奪った中大兄皇子一派は、大陸への玄関口であった難波に遷都を行ったようです。交易による経済の掌握や大陸への進出を考えると、難波は最適の場所でもあったのだと思います。外向きの政治を行っていた豊臣秀吉の大阪城もこの地であったし、織田信長も本能寺で倒れなければ、この地に城を築く計画であったようです。
【難波宮跡|2016年3月7日|Canon EOS 50D】
そんなことを思いながら散策してみました。現在は史跡公園となっていて、昭和39年5月2日[1964]に国の史跡に指定されています。
【難波宮跡|2016年3月7日|Canon EOS 50D】