おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

安佐広島1

2021年03月04日 23時59分15秒 | 建物
※おさかなの旅・アーカイブ(2003年7月17日)
 午後からのイベントに参加するため朝から広島市内に入り町歩きしてみました。原爆ドームからスタートしてみました。見学するのは初めてではありませんでしたが、記録写真残したのは、この日が最初でした。広島県物産陳列館として、大正4年4月5日(1915)に開館しています。大正10年(1921)に広島県立商品陳列所と改称し、昭和8年(1933)に広島県産業奨励館に改称され、昭和20年8月6日(1945)に投下された原子爆弾による被爆により破壊されましたが。中央のドーム部分だけは全壊を免れ、枠組みと外壁を中心に残存しています。
 平成4年(1992)に日本が世界遺産条約を受諾したことをきっかけに、広島市議会が「原爆ドームを国の世界遺産候補リストに登録するよう要望する」意見書を採択し、世界遺産登録に向けて動き出しました。平成7年3月(1995)に国の史跡に指定されたことにより、日本国政府が原爆ドームを世界遺産に推薦しました。平成8年12月(1996)にメキシコのメリダ市で開催された世界遺産委員会会合にて文化遺産として世界遺産に登録されました。


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)


原爆ドーム|2003年7月17日おさかな撮影(NIKON E5)

 単なる戦争遺跡というだけでなく、核兵器による破壊の悲惨さ、人類全体への警鐘といったメッセージ性のある遺産という性格を持つため、保存に際しては「可能な限り、破壊された当時の状態を保つ」という基本理念を持っています。そういったことから、鉄骨による補強と樹脂注入による形状維持・保全が主であり、崩落や落下の危険性のある箇所はそのたびに取り除かれているのが現状です。大きな自然災害が発生した時に、崩壊の危険性をはらんだままの保全なので、いつまでこの状態を保てるのか大きな問題を抱えた建物でもあります。

▶原爆ドーム
住所:広島県広島市中区大手町1−10

▶広島市(沼田郡)の変遷
⓪郡区町村編制法施行|1878年|明治11年11月1日|広島区(ひろしまく)
(対象)沼田郡広島城下・観音村・川添村・船入村・水主町新開・吉島新開・六町目村・江波新開・白島村・安芸郡大黒村・段原村・比治村・尾長村・大須賀村・大須新開・東新開・皆実新開・矢賀村の一部
①市制施行|1889年|明治22年4月1日|広島市(ひろしまし)
②区設置 |1980年|昭和55年4月1日|広島市中区<旧沼田郡エリア>(ひろしましなかく)


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