昨年の3月11日に発生した、東日本大震災。
あれから14ヶ月、陸前高田市に行ってきました。
昨日から開催されてる日本建築士会連合会主催の「まちづくり会議」に参加しているのですが、今日は陸前高田市の現状と、後方支援都市としての遠野市の現状を視察してきました。
陸前高田市の現状は、まだまだガレキの処理が追いつかず、復興への基盤整備に取り掛かれていないようです。
陸前高田市役所です。
残っているのは、コンクリートで造られた躯体だけです。
ガレキの山です。
海辺のホテルです。
赤字で書かれてる13.7mの表示まで津波が上がってきたそうです。4階でも水に沈む高さです。
ニュースでも良く取り上げられてる一本松です。
今泉地区は、歴史ある建物が町並みを構成している美しい街だったのですが、なにもかもが波にさらわれてしまってます。
神社の鳥居が造られていました。
山田洋次監督が造った、幸せの黄色いハンカチ。
文化財であった吉田家も波に流されたのですが、柱・梁などを回収し再建する計画だそうです。
いままでニュースなどの映像だけだったのですが、実際に自分の目で見ると現実ははるかに大変な状況です。
あれから14ヶ月、陸前高田市に行ってきました。
昨日から開催されてる日本建築士会連合会主催の「まちづくり会議」に参加しているのですが、今日は陸前高田市の現状と、後方支援都市としての遠野市の現状を視察してきました。
陸前高田市の現状は、まだまだガレキの処理が追いつかず、復興への基盤整備に取り掛かれていないようです。
陸前高田市役所です。
残っているのは、コンクリートで造られた躯体だけです。
ガレキの山です。
海辺のホテルです。
赤字で書かれてる13.7mの表示まで津波が上がってきたそうです。4階でも水に沈む高さです。
ニュースでも良く取り上げられてる一本松です。
今泉地区は、歴史ある建物が町並みを構成している美しい街だったのですが、なにもかもが波にさらわれてしまってます。
神社の鳥居が造られていました。
山田洋次監督が造った、幸せの黄色いハンカチ。
文化財であった吉田家も波に流されたのですが、柱・梁などを回収し再建する計画だそうです。
いままでニュースなどの映像だけだったのですが、実際に自分の目で見ると現実ははるかに大変な状況です。
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