※おさかなの旅・アーカイブ(2004年1月5日)
天神さんと呼ばれ親しまれている北野天満宮は、福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心の神社です。祭神は菅原道真です。菅原道真は宇多天皇に徴用され右大臣まで上り詰めたのですが、左大臣・藤原時平との権力闘争に負け、太宰府に左遷され、失意のうちに太宰府で没しました。ところが、道真の死後、都では災害が相次いだり、時平が死去し、道真の祟りだと恐れられました。当時は、失意のうち亡くなった人は、怨霊となるとの怨霊信仰が隆盛していました。そこで、その祟りを鎮めるため造営されたのが、北野天満宮です。ここも、文化財建築の宝庫で、本殿・石の間・拝殿・楽の間が国宝で、廻廊・三光門・透塀・後門・東門が重要文化財に指定されています。

北野天満宮拝殿|2004年1月5日おさかな撮影(NIKON E5)

三光門|2004年1月5日おさかな撮影(NIKON E5)
▶鹿苑寺
住所:京都府京都市上京区馬喰町
▶葛野郡衣笠村の変遷
①郡区町村編制法|1879年|明治12年4月10日|上京区(かみぎょうく)上京6組
②市制施行|1889年|明治22年4月1日|京都市上京区(きょうとしかみぎょうく)
天神さんと呼ばれ親しまれている北野天満宮は、福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心の神社です。祭神は菅原道真です。菅原道真は宇多天皇に徴用され右大臣まで上り詰めたのですが、左大臣・藤原時平との権力闘争に負け、太宰府に左遷され、失意のうちに太宰府で没しました。ところが、道真の死後、都では災害が相次いだり、時平が死去し、道真の祟りだと恐れられました。当時は、失意のうち亡くなった人は、怨霊となるとの怨霊信仰が隆盛していました。そこで、その祟りを鎮めるため造営されたのが、北野天満宮です。ここも、文化財建築の宝庫で、本殿・石の間・拝殿・楽の間が国宝で、廻廊・三光門・透塀・後門・東門が重要文化財に指定されています。

北野天満宮拝殿|2004年1月5日おさかな撮影(NIKON E5)

三光門|2004年1月5日おさかな撮影(NIKON E5)
▶鹿苑寺
住所:京都府京都市上京区馬喰町
▶葛野郡衣笠村の変遷
①郡区町村編制法|1879年|明治12年4月10日|上京区(かみぎょうく)上京6組
②市制施行|1889年|明治22年4月1日|京都市上京区(きょうとしかみぎょうく)
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