平安時代の末期、平清盛によって栄華を極めた平家は、文治元(1185)年に壇ノ浦の合戦で源義経率いる源氏軍勢に破れ、平家団結の象徴であった安徳天皇は八歳という若さで二位の尼に抱かれ入水しました。
生存者中最高重臣であった平大納言時忠は、能登の地へ配流され、この地で没しました。
時国家の祖は、この平時忠で、その子 時国 の代より当地で農耕を営み、時国村を起こしたそうです。
時は流れ、天正9(1582)年、能登は加賀前田藩領に、その後慶長11(1606)年には時国村の一部が越中土方領となり、時国家は二重支配を受けることとなりました。
寛永11(1634)年、十三代藤佐衛門時保は時国家を二家に分立し、時保は加賀藩領に居を定めました。今日紹介する『時国家』は、その加賀藩領の時国家です。
現存している建物は、国の重要文化財に指定されています。
木造平屋建て、間口十三間、奥行き八間、茅葺入母屋造りの建物です。
建物に入ると、庭と呼ばれる大きな土間になっていて、巨大な梁組みが圧巻です。
上段の間です。
奥の部屋です。
平家なので、敷地内には安徳社が祀られていました。
北庭からの外観です。
■『時国家住宅』詳細データ
住 所:石川県輪島市町野町西時国
電 話:0768-32-0075
開館時間:8時半~17時
休館日 :1/4~2/28
見学料金:600円
生存者中最高重臣であった平大納言時忠は、能登の地へ配流され、この地で没しました。
時国家の祖は、この平時忠で、その子 時国 の代より当地で農耕を営み、時国村を起こしたそうです。
時は流れ、天正9(1582)年、能登は加賀前田藩領に、その後慶長11(1606)年には時国村の一部が越中土方領となり、時国家は二重支配を受けることとなりました。
寛永11(1634)年、十三代藤佐衛門時保は時国家を二家に分立し、時保は加賀藩領に居を定めました。今日紹介する『時国家』は、その加賀藩領の時国家です。
現存している建物は、国の重要文化財に指定されています。
木造平屋建て、間口十三間、奥行き八間、茅葺入母屋造りの建物です。
建物に入ると、庭と呼ばれる大きな土間になっていて、巨大な梁組みが圧巻です。
上段の間です。
奥の部屋です。
平家なので、敷地内には安徳社が祀られていました。
北庭からの外観です。
■『時国家住宅』詳細データ
住 所:石川県輪島市町野町西時国
電 話:0768-32-0075
開館時間:8時半~17時
休館日 :1/4~2/28
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