正月休みの間、撮りためていた画像データの整理に取り掛かったのですが、あまりにも大漁で全部は無理でした。随時合間を見て作業を進めていかなければっちゅうか、撮ってすぐに整理すればいいのだけど、それがどうもできないもので。。。(笑)
これをきっかけに、過去の訪問地(画像データの残っているものですが)を振り返ってみようと思います。そのほうが整理する目的が発生しますから、一挙両得!まあ、あくまで随時ですけども(^^;;
整理してて、一番古いデータが1998年11月13日の奈良市散策でした。この前後のデータがどうもみあたらなく、多分資料室の中で眠ってるパソコンの中か、今は無きフロッピーディスクの中かもしれない。それはそれでもう追いかけても仕方ないので。。。
さて、現在の自由業になる前、会社勤めの頃に記録した写真です。多分このあたりでデジタルカメラを購入したのだと思う。もともと出かけることは好きだったのだけど、この頃は積極的にカメラで記録を残すってことをしてなかったです。なので1998年は、この奈良県奈良市で記録に残した以下の写真2枚が比較的状態の良い写真となっています
画像データのプロパティには、カメラの機種名が記録されてなく品番はわからないのですが、多分EPSONのデジタルカメラだったと思います。
■平城宮跡朱雀門<奈良県奈良市佐紀町>
平城宮は、奈良の古都平城京の大内裏です。平成10(1998)年12月に「古都奈良の文化財」として東大寺などと共に世界遺産に登録されました。なので、写真は登録される一カ月前のものなります。平城宮跡は、国の特別史跡にも指定されています。
写真の朱雀門は、復元直後ぐらいだったと思います。築地塀はまだ工事中の状況だったようです。2010年には第一次大極殿も復元完了しています。
■唐招提寺<奈良県奈良市五条町13-46>
唐招提寺は、中国の高僧・鑑真が天平宝字3(759)年に建立した寺院です。南都六宗の1つである律宗の総本山で、本尊は廬舎那仏です。こちらも「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています。
写真の金堂は、国宝に指定されています。奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものです。2000~2009年にかけて解体修理が行われ、現在は写真のものよりスッキリとしたものになっていると思います。他にも、講堂・鼓楼・経蔵・宝蔵が国宝に指定されています。礼堂と興福寺旧一乗院 宸殿、殿上及び玄関は重要文化財の指定となっています。
これをきっかけに、過去の訪問地(画像データの残っているものですが)を振り返ってみようと思います。そのほうが整理する目的が発生しますから、一挙両得!まあ、あくまで随時ですけども(^^;;
整理してて、一番古いデータが1998年11月13日の奈良市散策でした。この前後のデータがどうもみあたらなく、多分資料室の中で眠ってるパソコンの中か、今は無きフロッピーディスクの中かもしれない。それはそれでもう追いかけても仕方ないので。。。
さて、現在の自由業になる前、会社勤めの頃に記録した写真です。多分このあたりでデジタルカメラを購入したのだと思う。もともと出かけることは好きだったのだけど、この頃は積極的にカメラで記録を残すってことをしてなかったです。なので1998年は、この奈良県奈良市で記録に残した以下の写真2枚が比較的状態の良い写真となっています
画像データのプロパティには、カメラの機種名が記録されてなく品番はわからないのですが、多分EPSONのデジタルカメラだったと思います。
■平城宮跡朱雀門<奈良県奈良市佐紀町>
平城宮は、奈良の古都平城京の大内裏です。平成10(1998)年12月に「古都奈良の文化財」として東大寺などと共に世界遺産に登録されました。なので、写真は登録される一カ月前のものなります。平城宮跡は、国の特別史跡にも指定されています。
写真の朱雀門は、復元直後ぐらいだったと思います。築地塀はまだ工事中の状況だったようです。2010年には第一次大極殿も復元完了しています。
■唐招提寺<奈良県奈良市五条町13-46>
唐招提寺は、中国の高僧・鑑真が天平宝字3(759)年に建立した寺院です。南都六宗の1つである律宗の総本山で、本尊は廬舎那仏です。こちらも「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています。
写真の金堂は、国宝に指定されています。奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものです。2000~2009年にかけて解体修理が行われ、現在は写真のものよりスッキリとしたものになっていると思います。他にも、講堂・鼓楼・経蔵・宝蔵が国宝に指定されています。礼堂と興福寺旧一乗院 宸殿、殿上及び玄関は重要文化財の指定となっています。
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